2013年10月27日日曜日

【第215回】『はじめての課長の教科書』(酒井穣、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008年)

 25歳の時に、ある日本の大手IT企業で係長向けのマネジメントのテキストを上梓したことがある。全係長を対象としたマネジメント研修の事前の読み物として配布され、それに基づいた研修がデザインされるという位置づけのものであった。先方の担当者の要求水準は高く、三万字ほど書いていたもののうち、度重なる加筆・修正を経て、結果的に半分程度に削られた。とはいえ、文字数が少なくなるということは、論旨がシンプルになり、中身が凝縮されるということでもあり、納得のいく中身になったと自負していた。

 その一年半後、ややもすると夜郎自大になりかけていた私の目を覚まさせてくれたのが本書である。新婚旅行のためにモルディブへと向かう機中で読んだところ、目から何枚も鱗が落ちるような想いであった。課長や課長になる前の層を読者として想定し、徹底的に課長の視点に立った上で、課長の役割について未体験の者に腑に落とさせながら理解させている。通読するのは今回が三回目であるが、個別具体的なビジネスの文脈から適度な距離を保ちつつ、徹底的に課長の立場に寄り添って書かれたビジネス書は今でも他にないだろう。

 改めてとりわけ感銘を受けた、課長の役割、求められるスキル、取り巻く環境、という三点について述べていきたい。

 第一に、課長の役割について。ともすると、中間管理職である課長の役割は、経営と現場とを両極にする二元論の中の情報の結節点としてのみ描かれる。こうした考え方では、経営が情報の起点になるか、現場が情報の起点になるかという違いはあれども、中間管理職には情報をなるべく希釈化させずに上下に通すことだけが求められる。しかし著者は、野中郁次郎のMiddle Up-Downの考え方を援用しながら、現場と経営を介在しながら自らが第三極として戦略の起点となる存在として課長の役割を位置づけ直す。こうした経営者・現場・課長という三元論としての情報システムは「できる課長」がいることで初めて成り立つものであり、経営者にとっても現場にとってもありがたい存在であろう。

 第二に、課長に求められるスキルについて見ていこう。著者が主張するコーチングによる方向付けの重要性は、現在のビジネス環境において必要不可欠であることは最新の学術的研究でも明らかだ(労働政策研究・研修機構「特集 人材育成とキャリア開発」『日本労働研究雑誌』Oct. 2013 No. 639)。その中でも、具体的に「上司の「沈黙」は、部下への期待値の低さを伝えてしまう」(73頁)という著者の主張は慧眼である。課長が自分自身で思う以上に、部下は課長の「沈黙」に敏感である。「沈黙」があまりに多いと、課長からどんなに創意工夫を求められたとしても、課長の思う正解を探して受身な姿勢になってしまいかねない。オーバー・アクションも考えものであるが、「沈黙」のようにノー・リアクションの与える部下へのダメージについて、課長は留意することが大事であろう。

 第三に、課長を取り巻く非合理な環境をどのように捉えるか、というマインドセットについて取り上げたい。情報経路が複雑になり、オープン・タスクが占める比率が高い現在のビジネス環境とは、意思決定を行う上での変数が非常に多岐にわたる状況であると言える。ために、経営と現場の結節点であり加工情報の第三の発信地点としての課長の位置づけは、本来的に非合理なものとなりやすい。そうであれば、「割り切って、ゲームのようにとらえて手早く切り抜けることで、他のもっと大事な仕事の時間を確保する」(114頁)という考え方もあり得るだろう。ゲームというカジュアルな感覚を持つことによって、下手をすると精神的にダメージを蓄積し易い状況を気軽に捉えることもできるかもしれない。そうした達観した態度が精神的なゆとりへと繋がり、課長起点の創造性や戦略立案という第三極としての役割を全うできることに繋がり得るのだ。

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