2012年8月5日日曜日

【第95回】『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』(酒井穣、光文社、2010年)


 キャリアをチェンジさせるタイミングにおいては回顧と展望が大事である。これはキャリア論の様々な研究者が、それぞれの立場の相違を超えて異口同音に認めている点であると言えるだろう。キャリアをチェンジした今このタイミングで、人材育成および組織開発を担当する者としての私のキャリアを回顧し展望する上で、これほど適した書籍は他にない。

 本書は既に何度も通読している。今回、私のような職責にいる立場の人間にとっては必読書であることを改めて認識した。Amazonの書評には「現場のリアリティ感がない」「他の本のいいとこ取り」「具体的アプローチが足りない」といったネガティヴな評価も散見されるが、他社にとって役立つ事例としての書籍を目指せば、先行研究を行った上で抽象度を高めることはむしろ当前であり誠実な姿勢である。こうしたことを書くレビュアーは、自身の職業人としてのプロフェッショナリティや研究リテラシーの欠如を白状しているだけにすぎないだろう。換言すれば、本書はハウツー本を期待する方々には向かず、自社における人材育成を真剣に考えて日々悩みながら実践を積み重ねる方々に適したテキストと言えよう。

 著者は、人材育成が求められる社会的な背景から、誰を、いつ、どのように、誰が、育成するかという四点について先行研究を交えながらコンパクトにまとめている。

 まず育成の対象者について。CCLの元研究員の主張をもとに、企業における人材は学習能力の観点から三つに分けて考えるべきであると著者は指摘している。すなわち、自らすすんで職務を通じて学ぼうとする積極的学習者、他者から何らかの刺激を受け納得すれば学ぶ消極的学習者、新しいチャレンジをしようとせずに言われたことをこなす学習拒否者、という三つのタイプである。企業の中で多数派を占める消極的学習者に育成の力点を置くことがキーになるという点は間違いないだろうが、積極的学習者を放置しても良いというのはやや言い過ぎであろう。むしろ、積極的学習者どうしが部署を超えて繋がることを支援したり、サクセッション・プランを通して中長期的な育成をはかることが求められるのではないだろうか。

 とはいえ、消極的学習者への支援が人材育成のメインの業務になることに異存はない。ではどのように育成するのか。著者はウルリッチの指摘をもとに四つの象限に基づいた役割ごとのコンピテンシーセットをもとにして育成することを指摘している。コンピテンシーの利用について賛否両論があることは理解しているが、こと育成のためにコンピテンシーを用いることには私は賛成だ。ただ、本書で挙げられているものよりは粒度を細かくして用意する必要があるだろう。なぜなら、コンピテンシーを用いて日々の育成を行うのはあくまで上司であり、自分自身なのである。彼らが日常的に使えるレベルになっていなければ、宝の持ち腐れになってしまう。したがって、制度企画系の人事と人材育成とが協働して、慶應義塾大学の花田教授が主張する「成長のロードマップ」としてのコンピテンシーを提示することが必要なのではないだろうか。

 次に、特に教育に注力すべきタイミングとして著者が教育的瞬間を挙げている点にも賛同する。以前のキャリアにおいては、「内定から入社三年目程度までの新入社員期間」の育成のしくみ構築と実施にフルコミットさせてもらった。また、他国の重要なメンバーと自社との協働を促すための「新しいメンバーで新規プロジェクトが立ち上がるとき」の研修や、自社の中枢を担う「中途入社の入社前から入社後3ヶ月程度の期間」の研修の一部を担えた。こうした教育的瞬間において教育に携われたことは貴重な経験であり、感謝している。現職では、こういった教育的瞬間をとらまえた育成への関与とともに、日常の中でとりわけ消極的学習者がストレッチできるしかけを設けることが企業を成長させると考え、私自身の課題でもあると考えている。

 最後に、誰が教育を担うかという教育の主体についてである。ここでも著者の主張に違和感はなく、とりわけ企業単位を超えたレベルで学び合える環境を設けることは必要であろう。私自身は約60カ国で展開するグローバル企業での組織開発・人材開発を担うため、他国のL&DやOD担当者との健全な競争にフォーカスを当てている。野茂がメジャー、中田がセリエで活躍している姿を見て多感な時期に感動した私にとって、海外と「勝負」できることは本望である。ダルビッシュではないが、日本企業における人材育成への海外からの低評価に対して忸怩たる思いもある。むろん他国のL&DやOD担当者との切磋琢磨がHQやグループ全体にとってポジティヴなものになると確信しているし、将来的には国内外の他社にとっても貢献できる一つのプラクティスになると信じている。

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