2016年4月24日日曜日

【第568回】『ジャスト・イン・タイムの人材戦略』(ピーター・キャペリ、若山由美訳、日本経済新聞出版社、2010年)

 本書で取り上げている新しい人材マネジメントのアプローチは、人的資源ではなく組織全体の目標を出発点にしている点でこれまでのものとは根本的に異なる。ここでいう目標は、組織の業績向上であり、ビジネス需要の不確実性や新たに出現した開かれた労働市場によって生じる人材にかかわるリスクをうまく管理することで達成することが可能である。(43頁)

 著者が端的に述べるように、本書は、組織全体の目標を出発点にした上で、人材マネジメントについて述べられている。人事のあるべき姿を起点にするのではなく、部門戦略を起点にするのでもなく、あくまで起点は組織「全体」の「目標」である。自明のことのようにも思えるが、日常のビジネスシーンを想起すれば、人事の官僚化や部門のサイロ化を目にしたことがない人の方が少ないのではないだろうか。ことほど左様に、組織全体の目標を念頭に置いた人材マネジメントというのは難しいものであり、それを体系的に扱う書籍というものは稀有でありかつ頼もしい存在である。

 では、不確実性の増大するビジネス環境において、人材マネジメントはどうあるべきなのか。著者は、人材の需給バランスを調整する必要性が増している状況においては、製品や資材の需給を調整するサプライチェーン・マネジメントが参考になるとして、四つの原則を掲げている。

原則1 内製と調達を併用して需要サイドのリスクに対処する(28~31頁)

 人事の世界では「Make or Buy」という言葉がよく使われる。つまり、事業を永続させるために必要な人材を確保するために、既存の人材を育成するか、外部から人材を新たに採用するか、ということである。著者は、ここでの「or」を「and」に変えるべきであると主張する。それだけでは目新しさはないが、176頁で指摘しているMakeとBuyの使い分けの基準に刮目すべきだろう。

  1. その人材が必要となる期間はどれくらいか。その期間が長ければ長いほど、内部育成投資の回収はより容易になる。
  2. スキルや職務が階層的に体系化されていて、候補者が内部育成によって段階的に学習、成長できるような構造になっているか。そうした状況であればあるほど(機能分野の範囲内であればその可能性が高い)人材を内部で育成することがより容易である。
  3. 現在の組織文化を維持することがどの程度重要か。特に上位層の人材を採用した場合には、異なる価値観や規範が組織に持ち込まれることになり、その結果、組織文化が変化することになる。組織文化を変えることが重要な場合は、外部採用がそれを実現してくれる。ただし、外部採用によって文化を変えることができたとしても、具体的にどのように変わるかを事前に予測することは難しく、複数の外部人材を同時に採用した場合には、なおさらそうである。
  4. どの程度、正確な需要予測を行うことが可能か。その人材が必要となる期間についてどの程度、確信が持てるか。予測の不確実性が高ければ高いほど内部育成のリスクやコストは高くなる。

原則2 需要の不確実性を減少する(31~35頁)

 不確実性を克服して需要を予測し、計画を策定することは可能だという幻想は捨てて、不確実性を既知の事実と受け止め適応する方法を見出すほうが得策である。そのひとつの方法として、ポートフォリオ原理の活用が挙げられる。(33頁)

 著者の主張のポイントは簡潔である。人材の需要を予測し合理的に長期的なサクセッションプランを作成しフォローしていくことは、現代のビジネス環境においては機能しない。予定調和性の低いビジネス環境においては、将来において求められるポジション自体が変化するため、将来時点から複雑に逆算するサクセッションプランは機能しづらいのである。したがって、部分最適ではなく全体最適において、かつ静的ではなく動的に、短期的な視野をもとに人材マネジメントのしくみを企画し、丁寧にフォローしていくことが必要だ。この新しい人材マネジメントの要諦は、236頁によくまとめられている。

  • 人材の需要を予測することは明らかに意味がある。
  • 将来のポストについて柔軟性を持たせるために、候補者を幅広い職務に就けるように範囲を限定せずに育成するのが賢明である。
  • 個人のスキルを評価し、向上し続けるために必要な育成経験が何かを検討する人材レビューを行うことは意味がある。
  • 育成計画の更新手段として、後継者候補からなる人材プールを明らかにするためにリプレースメント・プランを作成することは意味がある。

 第二の点として挙げられているものは、日本の重厚長大な伝統企業における部門や職務を超えたジョブローテーションを想起させるようで興味深い。これは、日本型人事管理の進化型においても、マネジメント人材に関しては、本社人事が人材情報を更新し、部門を超えたキャリア開発とジョブ・ローテーションが重要であるとする神戸大の平野光俊教授の『日本型人事管理』での結論と符合する。タレント・レビューやリプレースメント・プランといったいわゆる外資系企業の得意領域と、タレントを計画的にジョブ・ローテーションをかけていくという日系企業の得意領域の合わせ技が提言されているのである。

原則3 人材育成のROIを高める(35~37頁)

 人材育成の施策を考える際に最も大切なのは、コストよりもメリットに重点を置くことである。すなわち、社員が会社により多くの価値をもたらす仕事により早く就けるようにすることで、社員の組織に対する貢献度が高まるというメリットを受けることだ。これを実現するには、有望な人材を早期に発掘し、昇進スピードを速めることができるような能力開発の機会を提供する必要がある。部下のなかで誰がより高度な仕事に就く準備ができているのかを見極めるのは、ライン管理者の重要な使命である。(37頁)

 タレントを早期に発掘し開発していくシステムは人事が用意すべきであるが、そうした人材を発掘する主体は、部下のパフォーマンスを日常的に見るライン・マネジメントにある。では発掘した人材をいかに開発していくか。ここで私たちは、著者の本書の起点になっている組織全体の目標に立ち返る必要がある。職務を離れたトレーニングも重要であるが、会社目標という観点からすると日常的な業務において貢献することを視野に入れる必要がある。加えて、部門がタレントを抱え込むのではなく、クロス・ファンクショナルなキャリアを用意することも必要だ。こうした二つの厄介な命題を同時に解決するヒントとして、部門を超えたプロジェクトへのアサインメントが挙げられる。

 ここ数年で最も目を引く人材マネジメントの動向のひとつは、「職務」(ジョブ)が、社員が実際にどのように仕事を遂行し、仕事を通じてどのように学ぶかを捉える最適な単位であるとはいえないのではないかという認識が出ている点である。職務要件の柔軟性が増し、チーム作業がより一般的になったいまでは、職位や肩書きの枠を超えて広範囲に及ぶタスクを遂行することが普通になっている。社員が関与している特定のプロジェクト、もしくは実際に遂行しているタスクのほうが、より意味のある分析単位だといえるのかもしれない。(315頁)

 職務要件という考え方がなくなることはないだろうが、静的な職務や資格等級を超えたプロジェクトやタスクといった単位でのアサインメントの重要性が増していることは事実だろう。とりわけ非管理職層のタレントに対しては、部門横断型のプロジェクトや自身の部署とは日常的に関係性の少ないプロジェクトにアサインすることがキャリア開発の点で望ましいのではないか。

原則4 内部市場を活用して社員との利害をバランスさせる(37~42頁)

 本書の主題のひとつは、外部採用の限界に伴い、採用活動においては外部市場だけではなく、内部市場も活用せよという点である。内部市場における採用を支援する制度とは、社内公募制度や自己申告制度が挙げられる。社内公募にせよ自己申告にせよ、人事やマネジャーではなく社員自身がキャリアをすすめる主体であるということが前提になる。

 根本的な人材マネジメントの課題である不確実性を減少させることに関係している。社員はキャリア・アドバイスのおかげで、自分が目指す方向を見極めたり、キャリア・プランを作成したりすることが容易になる。社員が自分のキャリアに関してはっきりとした考えを持っていると、企業側としてはいろいろな意味で対処しやすくなる。(329頁)

 キャリア開発という社員側の要望と、企業目標の達成のための計画的なジョブアサインやローテーションという企業側の要望とが、内部市場の活用によって実現可能となり得る。こうした考え方を綺麗事として画餅にするのではなく、人事と現場のマネジャーとが地道に連携して行うことが、私たちに求められるのであろう。

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