2014年11月25日火曜日

【第380回】『荘子 第四冊』(金谷治訳注、岩波書店、1983年)

 真実の道を体得した古人は、逆境におちこんだ場合も楽しんでおり、順調に成功した場合も楽しんでいた。楽しみとするところは、逆境とか順調とかいう世俗の関心をこえていたのである。真実の道が体得できたなら、逆境か順調かということは、寒暑風雨が移り変わるていどのことになってしまうのだ。(譲王篇 第二十八・十二

 真実の道というと難しく思われるが、つまりは、一喜一憂せずに、心を落ちつかせることであろう。心を落ちつかせ、自ずから然りの心境に至ることができれば、周囲の状況によって惑わされることがなく、何事も楽しむことができるようになるのであろう。

 現象をささえる根本こそが精妙だと考えて、現象世界の存在を粗雑だとみなし、物はいくら積みあげても満足できないとして[それを追求することはやめ]、安らかに落ちついて、ひとりあの霊妙にして聡明な真理のはたらきに身をよせてゆく。昔の道術のなかには、そうした立場のものがあった。(天下篇 第三十三・五)

 意味内容はよくわからない。しかし、なぜか、心に響くものがある箇所である。


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