2014年4月26日土曜日

【第276回】『老荘と仏教』(森三樹三郎、講談社、2003年)

 老子を語る上では孔子を語る必要がある。そこで著者は、長谷川如是閑をもとにしながら、老子と儒教の違いを簡潔に述べる。

 春秋戦国の乱世になり、従来の国家秩序がくずれ始めたとき「儒教は、そのステートすなわち国家形態のほうに理想的社会形態を認めたのであるが、老子教のほうは、コミュニティすなわち村落自治体のほうに理想的社会形態を認めたのである。」(14頁)

 秩序が乱れた状態において、何を理想として社会を標榜したのか。儒教が規範に基づく国家形態に理想を置いたのに対して、老子はコミュニティを理想的な形態として置いたと端的に違いを鮮明にしている。さらに如是閑を引きながら、両者の対比構造に解説を試みている。

 儒家の道は仁義忠孝といった一定の内容をもつ道であった。つまり有の道である。このような有の道を進めば、結局は文化の建設というプラスの方向をとり、老子の最も憎む不自然な社会をつくることになる。自然の社会をつくるためには、無為・無知・無欲というように、マイナスの方向をとる必要がある。とすれば、道の内容は無でなければならない。無こそ万物の根源であり、あらゆる有はそこから生ずる。これが老子の無の哲学である。(23~24頁)

 あるべき道を進むというプラスの方向性を儒教が取るのを踏まえて、老子は、そうした道が不自然で独尊的な社会を生み出すとする。そこで、あるべき道という発想自体を取り払い、無を万物の根源とみなし、有をも生む存在としての無を老子は重視したのである。こうした万物の根源を無とみた老子を受け継ぎながら発展させたのが荘子である。

 万物斉同とは、相対差別という限定を離れて、みずからを無限者の立場におくことにほかならない。無限者の立場に身をおくとき、あらゆる有限なるもの、対立矛盾するすべてのものを、そのままに肯定し、あたたかく包みこむことができよう。(31頁)

 有を生み出すものを無と置く考え方では、その無をも生み出す主体を想定せざるを得なくなる。しかし、万物を生み出す主体を無限とすれば、すべての始原としての主体というものを想定する必要はなくなる。荘子は、こうした万物斉同の考え方をもとにして、多様で自然な状態を肯定する発想を創り出したのである。

 禅と浄土が解決しようとしたのは、荘子が言い忘れた「いかにして万物斉同の境地を実現することができるか」という、方法論の問題であり、実践の問題であった。 禅宗の場合は、自然になるためには無数の不自然を積み重ねなければならないことに気づいた。つまり自然の境地に達するためには、精進努力という不自然が必要だというのである。(37頁)

 老子・荘子ではともすれば観念的であった思想体系が、禅宗や浄土教といった宗教の枠組みを得ることで実践的なものへと変容した。いわば、老荘を日々実践するための作用を宗教が担ったのである。ではなぜ他の仏教ではなく、禅がフィットしたのであろうか。

 禅宗は不立文字というように理論を重んじない。真理を把握するのは、論理ではなくて、体験的直観である。この認識論は、中国の知識人にとって、まさに打ってつけのものであった。中国人はもともとインド人とは異なり、精密で煩瑣な論理が得意でもなく、好きでもない。(中略)禅宗は中国人の体質に最も適合した仏教であって、これが宗元明清の一千年間にわたり、禅宗の独走を許した根本的な理由である。(153頁)

 この辺りの「中国」という国家や「中国人」に関する議論は、『おどろきの中国』(橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司、講談社、2013年)にも詳しいので、興味のある方は併せて読まれるのも良いだろう。

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