2013年11月4日月曜日

【第218回】『戦争と平和(一)』(トルストイ、工藤精一郎訳、新潮社、1972年)

 小説というものは、全体のストーリーに焦点を当てることもさることながら、断片において自分が感じ入ったものに焦点を当てることも趣き深いものである。全体の文脈と離れたところにおいて、なにか自分に引っかかる部分がある。こうした細かな部分の中に、自身の内奥にある全体像を把握する何かがあるのではないだろうか。

 どんなに美しい、純粋な友人関係にも、車輪がまわるためには油が必要なように、追従か賞賛が必要なものである。(69頁)

 本作品の中心を為す人物のうちの二人であると思われる、アンドレイとピエールとのやり取りをもとに、著者は友人関係という繊細な事象を扱っている。友人関係、とりわけ親しい友人関係というものは、自然の為すわざであるとともに、それぞれの努力の為せるわざでもある。農作物にとって土壌が大事であることと同じように、豊かな自然の営為と共に、人間が絶え間なくケアすることが必要なのであろう。

 アンドレイ公爵は、戦局の全般の動きに主たる関心をおいている、司令部に数すくない士官の一人だった。マックを見て、その敗北の詳報を知ると、彼はこの戦争の半分が失敗に帰したことをさとった、そしてロシア軍のおかれた状況のあらゆるむずかしさを理解し、ロシア軍を待ち受けているものと、その中で彼が果さなければならぬ役割を、まざまざと思い描いた。(中略)一週間後には、おそらく、ロシア軍とフランス軍の遭遇を自分の目で目撃し、自分もその戦闘に参加することになろうと思うと(中略)、彼は思わず胸のおどるような喜びをおぼえた。しかし彼はロシア軍のあらゆる勇敢さに優るかもしれぬボナパルトの天才に恐れを感じていた、だがそれと同時に自分の好きなこの英雄の屈辱を許すこともできなかった。(290頁)

 広い視野を持つが故に、近い将来を見通すことができ、そこでの厳しい局面をイメージできてしまう。これが幸福なことなのか、不幸せなことなのかは難しい。さらに、敵将ナポレオンの政治的理念や戦略的天才性への共感と尊敬を抱きながら、軍人として闘うことへの躍動感とを彼は併せ持つ。どちらが本当の自分ということではなく、アンビバレントな中で選択を下し続けることが生きることであるということを著者は伝えようとしているのであろうか。

 ピエールは、自分が晩餐会の中心になっていることを感じていた、そしてこの状態は彼にはうれしくもあったし、窮屈でもあった。彼は何かの仕事に深く打込んでいる人間のような状態にあった。彼は何もはっきりは見えなかったし、わからなかったし、聞えなかった。ときおり、ふいに、彼の心の中に断片的な考えや現実からの印象がひらめくだけだった。(487~488頁)

 莫大な遺産を受け継ぐことになったピエールは、自身が誰と結婚するかということで注目を浴びる。自分自身が注目を受け、話題の中心になることが好きであるのに、そうした現状と自身が結婚することに対して冷めた目で眺めることもしている。アンドレイの状況と同様にピエールの状況においても、人間の単純性ではなく、アンビバレントな中でいかに生きるか、という著者のテーマ設定が提示されているようだ。


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