2013年9月21日土曜日

【第202回】『孔子』(和辻哲郎、岩波書店、1998年)

 ソクラテス、イエス、釈迦、孔子をして四聖と呼ばれる。人類にとって偉大なる四人の教師とも言える存在であろう。人々にとって偉大な教えを伝える人物であれば、その言行録や伝記が多いのが普通であろう。実際、ソクラテス、イエス、釈迦について、そうした書物は多い。それに対して、孔子は『論語』以外に信憑性の高い書物はないというのが一つの特徴ともなっている。著者は、そうした結論づけのあとで、『論語』を考察している。

 『論語』は部分によって書かれている内容が異なる。著者はその分類を以下のようにまとめる。学而編の最初の部分は、孔子を中心とする学園の根本精神を説くもの、学ぶべき道と道を学ぶ際の心がけといった精神論である。

 著者は『論語』の最初の一節をもとにしながら、根本精神を構成する三つの要素について解説を加える。

 子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。(學而第一)

 ここには学問の喜び、学問によって結び付く友愛的共同態の喜び、共同態において得られる成果が人格を高めるという自己目的的なものであるという学問生活の目標、が挙げられている。地位や名誉といった他者の観点から見た他律的な学びではなく、あくまで自律的な学びをもとにして、学び合う者同士が切磋琢磨し、たのしみながら学ぶという精神が述べられているのである。


 最後に、『論語』に書かれていないものに留意する必要があろう。それは死についてである。四聖の他の三人の教えを含め、世界における名だたる宗教では死を扱うのに対して、孔子が死を扱わないことには意味がある。死の問題を取り扱うことは、魂の問題を取り扱うことを含意する。したがって、孔子はあえて魂の問題を教えの中に含めなかったということになる。それはすなわち、現世において生きるというプラクティカルな側面を重視した孔子の考え方が垣間見える。ここにおいても、自己目的的な生き方が徹底されているのである。

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