2018年3月10日土曜日

【第815回】Number947「平昌五輪 17日間の神話。」(文藝春秋、2018年)


 今回のオリンピックは、見ていて清々しい想いがするシーンが多かったように思える。

 羽生結弦さんの怪我を押しての連覇は見事としか言いようがないし、素人にもその演技の美しさを感じさせる滑りは芸術的であった。女子団体パシュートの文字通り一糸乱れぬスケーティングは、同走している三人だけではなくリザーブを含めた四人の見事な連携を想起させ唸らさせられた。

 そのパシュートの団体メンバーの一人である高木菜那さんのマススタートでのラスト一周での駆け引きには驚くとともに感動的であた。また、金メダル最有力という呼び声による重圧の中で、女子500メートルで五輪レコードを出して優勝してみせた小平奈緒さんの圧巻の滑りには舌を巻いた。

 かつて「日本人はメダル○○○○」と公共の電波で放送禁止用語を用いて警句を述べたアスリートがいたことを記憶している方も多いだろう。五輪に出場するアスリートの方々が周囲の期待から受ける重圧は、一般人である私たちの感覚には遠く及ばないものがある。

 彼女の発言から20年以上が経った今、ネットでの拡散やSNSでの炎上も考えれば、メダル候補のアスリートが受ける重圧はより大きくなっているのかもしれない。だからこそ、そうした中で誠実に自身と向き合うアスリートの姿に、私たちは胸を打たれるのではないだろうか。

 冒頭では金メダルを獲得されたアスリートの方々について触れたが、本誌を読んで印象深かったのは宇野昌磨さんと藤澤五月さんの言葉であった。

 五輪が始まる直前に、宇野昌磨さんが出演している番組を見て、すっかりファンになった。なんというか、独特のキャラクターが面白く、また競技への取り組みに惹きつけられるのである。戦う相手は自分自身であると言い切る彼は、他者との勝負をどのように捉えているのか。その答えが以下の引用箇所に表れているのではないか。

「試合の時に他の選手を見るのが好き。自分も頑張ろうと思えるから。良かった演技の人の表情を見ると、ワクワクが出てくる」(34頁)

 まず、自分に集中したいであろう競技の直前に、他者の滑りを見ていることに驚く。「他者が気になるから自分に集中するために他者を見ない」のではなく、「自分との勝負だから他者の演技を見ながら自分自身の滑りに良いイメージを持たせる糧にする」という論理であろうか。メンタルトレーニングの一つとしても有効に思えるし、何よりも、フィギュアスケートという競技を愛し、そこで自分自身を高めようとする気概のようなものを感じさせられる。

 次に取り上げるのは、女子カーリングのスキップである藤澤五月さんが2015年に中部電力からLS北見へ移った際の以下の言葉である。

「自分たちでメニューを考え、練習していました。私に足りなかったのは、自ら取り組む姿勢だったと気づきました」(61頁)
「ここまで話しあってるんだ、みんないっぱい意見を言いあうんだなと思いました」(同上)

 LS北見のチームは、和気藹々とした姿があまりに有名である。しかし、あのような強い信頼関係を築く上で、練習や試合における喧々諤々の議論によって成り立っているのである。

 ともすると、チームメート同士で仲良くすることが大事である、というようにLS北見のみなさんを見て私たちは安易に思ってしまいがちではないか。モノカルチャーで育った人間には、異論を言ったり、意見を戦わせるのではなく、阿吽の呼吸で穏やかにやり取りすることが心地よいものであり、自分自身も残念ながらそうである。

 しかし、本当に信頼し合い、チームとして一つの目的に向けて取り組む上では、意見を言い合い、自分たちで主体的に仮説検証を繰り返すことが大事なのではないか。とりわけ多様な人々が複雑な環境で変化に富んだチームを形成する現代の組織においてはなおさらである。

【第416回】『チーム・ブライアン』(ブライアン・オーサー、樋口豊監修、野口美恵構成・翻訳、講談社、2014年)
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

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