2017年6月3日土曜日

【第714回】『明暗(2回目)』(夏目漱石、青空文庫、1917年)

 最初に読んだ際は、興味をそそられながらもよく分からず、掴み所がないという印象であった。今回、改めて読み直して、漱石が主人公夫妻の両者の側から交互に描写するということの面白さを感じられた。主語が入れ替わることで、主観と客観、多様な人間関係の織りなす物語の深みが、明瞭に現れている。漱石がどのような結末を想定していたのか、とても気になる。

 津田は振り向かないで夕方の冷たい空気の中に出た。(Kindle No. 7285)

 情景が変わる際に、「〇〇に出た」という表現は漱石に特徴的なものなのだろうか。以前、『行人』でも同じような表現に出会い、いたく印象に残っており、本作で目にしてもやはり良い表現であると感じた。それまでのシーンでの心情を人物が保持しながら、次のシーンへと移行する感じが想像できるだろう。

 彼はどこかでおやと思った。今まで前の方ばかり眺めて、ここに世の中があるのだときめてかかった彼は、急に後をふり返らせられた。そうして自分と反対な存在を注視すべく立ちどまった。するとああああこれも人間だという心持が、今日までまだ会った事もない幽霊のようなものを見つめているうちに起った。極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた。(Kindle No. 7849)

 小説を読む醍醐味を、稀代の小説家が書いているように私には思えるのだが、いかがだろうか。自分とは程遠い人物だと思って客観的に読んでいると、ふとある場面で共感できる行動や発言をしている箇所に遭遇し、意外な感をおぼえる。そこでの意外性とは、他者とのつながりへの気づきであると共に、未知なる自分への気づきでもあるのではないか。こうした他者性や未知なる自分との邂逅が、小説を読むことの醍醐味の一つであると私には思える。

 先刻まで疎らに眺められた雨の糸が急に数を揃えて、見渡す限の空間を一度に充たして来る様子が、比較的展望に便利な汽車の窓から見ると、一層凄まじく感ぜられた。(Kindle No. 8000)


 この情景の描写も美しいなと思う。俗っぽい解説になってしまうが、外の天候やその変化の激しさを端的に示すことで、その後の主人公への変化や暗雲の可能性を示唆していると言えるだろう。それをあからさまに書くのではなく、簡潔かつ美しく描写している箇所を読むのは、心地よい。


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