2017年1月5日木曜日

【第664回】『決断力』(羽生善治、角川書店、2005年)

 決断とは、決めて断つことである。決めることに焦点が当たりがちだが、何かを断つことを含意する。何かを断たなければ何かを決めることはできないのであり、だからこそ、決断は難しい。

 プロの勝負の世界に中学生の頃から身を投じて来た著者は、一局一局の中で決断を続けてきた。そうした人物が語る決断力から、私たちは多くのものを学ぶことができるだろう。

 経験には、「いい結果」、「悪い結果」がある。それを積むことによって色々な方法論というか、選択肢も増えてきた。しかし、一方では、経験を積んで選択肢が増えている分だけ、怖いとか、不安だとか、そういう気持ちも増してきている。考える材料が増えれば増えるほど「これと似た様なことを前にやって失敗してしまった」というマイナス面も大きく膨らんで自分の思考を縛ることになる。
 そういうマイナス面に打ち勝てる理性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を活かし切るのは難しくなってしまう。(32~33頁)

 何事も経験することが大事であり、経験から学ぶことができるはずだ、という言説に疑問を投げかけるつもりはない。しかし、経験至上主義で捉えると誤る側面があることを著者は指摘している。つまり、ネガティヴな経験が、私たちの現在を縛るリスクがあることであり、そうしたものを克服するマインドセットを涵養することが同時に求められるのである。

 勝負の世界では「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。組織や企業でも同じだろうが、常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。(43頁)

 安定を求めたり変化を嫌う個人や組織は恐ろしい。社会や国家全体が成長している局面では、そうしたマインドセットでも対応できることがあろうが、現代社会においてはそうした局面は極めて希少である。前進とは、何らかのスキルを向上させたり能力を向上させるということを意味しないだろう。自分自身の価値観の拡がりを感じたり、度量を拡げるといったことも前進と捉えれば、私たちができること、やるべきことというものを感じ取ることができるのではないだろうか。

 できるだけ可能性を広げて、自分にとってマイナスにならないようにうまく相手に手を渡すのだ。(37頁)


 何度読み返してもこの箇所が好きで読み直してしまう。自分本位で全てを為そうとするのではなく、他者、とりわけ対戦相手にいわばイニシアティヴを渡すという度量の深さ。これが著者の決断力や勝負勘の真髄なのではないだろうか。


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