2016年10月24日月曜日

【第636回】『日本社会の歴史(下)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 シリーズ三部作の完結編。鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代から安土桃山時代および江戸幕府が開かれる頃までを中心に論じられている。

 六〇年間の動乱の中で、王権、政治権力はまさしく四分五裂の状況にあったが、そのなかで諸地域の独自な動きはむしろ活性化し、社会全体の転換はこの間、さらに大きく進行した。
 十三世紀後半以後、前述したように、貨幣経済は軌道に乗っていたが、銭貨はさらにいっそう広く深く社会に浸透し、各地の荘園・公領の年貢が市場で売却され、公事、夫役などの負担を含めて、すべてが銭に換算されて支配者のもとに送られるようになった。地頭・御家人の所領からの得分を銭に換算し、貫高で表示するようになるのは、前述したように十三世紀後半までさかのぼりうるが、この時期になると、そうした貫高表示は一般的に行われるようになっている。(35頁)

 十四世紀頃からの社会の描写である。貨幣経済が広く浸透したことにより、地域をまたいだ交易が盛んになった様子がわかる。

 安定した自治組織を確立しはじめた村落や都市は、依然として遍歴・漂泊を続ける自立的な宗教民、芸能民、商工民に対し、警戒心を強め、それが差別の生ずるひとつの理由になっている。(中略)
 さらにこのころの社会の文明化の進展、人間と自然との関係の新たな変化にともない、穢れに対する社会の対処の仕方にも大きな変化がおこってきた。かつて人の力を超えた畏怖すべき事態であった穢れは、この時期になると、むしろ汚穢として忌避されるようになってくる。(46~47頁)

 中世において村組織が安定してからは、地域に安定しない人々に対する差別が生じたという。日本企業において、転職というものがイレギュラーであり、転職者に対する穿った見方が生じた背景には、こうした「村社会」文化があると考えるのは行き過ぎであろうか。

 また、現代にまで続く差別ー被差別の関係性もこのころから生じたとする。差別される対象というのは、私たちの<普通>の社会から離れた存在である。

 戦国大名は、職人、商人、廻船人によって形成された自治的な都市における市場での自由な取引を公認し、楽市、「十楽之津」であることを認めつつ、調停者、支配者としての自らの立場を固めようとしていた。おのずと戦国大名は商工業者や貿易商人に与えられた宗教勢力に対しても、無縁所の特権を安堵するなど、その自立的な活動を積極的に認める保護者としての立場に立つことによってその立場を強化しようとした。
 こうした戦国大名の姿勢は、村を支配している国人、地侍などの領主に対しても同様で、その所領を安堵してその独自な支配を公認し、領主や国人の一揆とそれを背景にした合議体による領主間の盟約を調停者として保障する立場に立ち、政治的な共同体となった「国家」を構成する人民ー「国民」を保護する義務を負うことによって、大名は地域の支配者としての立場を保っていた。(86~87頁)

 日本における国家とは明治から始まるものであると考えられがちであるが、小さい単位での国家は戦国時代に原型があるのだろう。少なくとも、私たちの意識に潜在的に存在している可能性があることを意識するべきだろう。


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