2016年5月22日日曜日

【第581回】『東大のディープな日本史2』(相澤理、中経出版、2012年)

 一般常識のような歴史を学び直すことも面白いが、一見して意外な史実を論理的に理解することもまた、歴史を学ぶことの意義の一つではないだろうか。前作に続き、本作でもそうした意外性のある楽しさに溢れている。

 もともと祖は、農村における初穂儀礼に由来しています。「今年も無事に収穫できました」と村人みなで神に捧げる。つまり、共同体の結束を固める儀式だったのであり、律令政府はそれを税制に取り込んだということだったのです。(67頁)

 日本における主食=米というステレオタイプな図式からすると、十数世紀前の頃から、税の中心は祖としての米であると思ってしまいがちだ。しかし著者は、律令国家における税制の中心は祖ではなく、調や庸であったとしている。これは、庸と調が人頭税として班田農民が直接都に運んで納入していたことに現れているそうだ。

 寄生地主制は資本と労働力の供給源となるという形で、資本主義の発達の基盤となりました。しかし、それは戦前の日本経済の構造的な脆さを内包するものでした。すなわち、高額の小作料をせしめられているがゆえに、低賃金で働かされているがゆえに、購買力がない、つまり、国内市場が育たなかったのです。実際に、明治時代の資本主義勃興期の日本経済は、過剰生産による恐慌を繰り返しました。(218頁)

 ここでは明治から昭和初期における生産体制について指摘されている。寄生地主制が、日本に資本主義を定着させながらも、その限界をもたらしていたという点に着目するべきであろう。そうした恐慌の果てにあの戦争に至ったということを私たちは忘れてはいけないし、それこそが、歴史から学ぶ態度ということではないだろうか。


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