2016年5月8日日曜日

【第575回】『揺れる大欧州』(アンソニー・ギデンズ、脇阪紀行訳、岩波書店、2015年)

 グローバリゼーションの進展により国境という概念が薄れることによって、様々な意味での機会が増えるとよく言われる。しかし、それはその現象の半面しか述べておらず、もう半面にはリスクの増大が挙げられると著者は指摘する。

 グローバル化の加速とインターネットの台頭によって、人類全体は、ごく近い過去の時代と社会的、技術的に異なるシステムの中で生きているのではないだろうか。私はこれを「高機会・高リスク社会」と呼ぼう。一方で地球規模での相互依存、他方で広範な科学技術革新によって、私たちが手にする機会とリスクは過去の歴史に前例がないほど密接に絡まっている。(15頁)

 こうしたインターネットの台頭と連関して加速するグローバリゼーションの結果として、多文化主義という考え方が既に古くなってしまったという。

 超多様性が行き渡るようになると、多くの個人、つまり大多数の人々は、もはや、一つのアイデンティティを感じないだろう。彼らの忠誠心は単純ではなく流動的で、行動パターンは国勢調査の質問項目のチェック印から正確に予測できるような代物ではない。(154頁)

 私たちは、グローバリゼーションという現象を、国家を超えるものとして考える。つまり、そこには近代国民国家を前提として考えるという思考のパラダイムが存在している。しかし、現代においては、<私たちの国家>に対するナショナリズムの威力は弱くなっているのかもしれない。

 国のアイデンティティには、周知のように、ベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」と呼んだもの、すなわち、神話として再統合された歴史が今なお関わっているのかもしれない。ただ、そこには、互いに対立しあうような、将来の選択肢がますます増えてきている。(159頁)

 国民国家を形成する基盤として物語があることに、依然として違いはない。しかし、ある時点において有効な物語は、将来まで永続的に続く神話として語り継がれる保証はないのである。その書き換えのスピードが増してきているのである。

 世界中の国々、そして、EUを構成する国々も、自らのアイデンティティを懸命に再考し、さまざまな解釈を生み出しつつある。そのことを考えれば、EUの単一の物語をつくろうとしても無駄かもしれない。むしろ大事なのは、市民の関心を引き寄せつつ、異なるテーマを議論できる多彩な空間をつくり出すことである。アイデンティティは、他の世界と共鳴するものであって、単に一つの政治体制を語ることに拠っているのではない。(164頁)

 国民国家の集合体であるEUという単位で考えれば、物語の構築の難しさはなおさらである。そこに求められる物語は、単一のものを想起するものではなく、多様な解釈が可能なものとされる。これが超多様性によって形成される現代社会において求められることは理解可能ではあるが、では具体的にどのような物語が可能なのか。にわかには想像しづらい難しい課題にEUは直面しているのであろうし、異なる社会間の垣根が低いグローバルな現代社会においては、それは決して他人事ではない。


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