2015年10月12日月曜日

【第500回】『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』(エドワード・L・デシ+リチャード・フロスト、桜井茂男監訳、新曜社、1999年)

 内発的動機づけについて丁寧に述べられた本作。修士時代の研究テーマとも関連するものであり、今回で読むのは実に四回目を数えるが、未だに新しい気づきを得られる。単に失念していただけの部分もある一方で、取り組んでいる課題に応じて学べるポイントが異なるということも言えよう。

 内発的動機づけとは、活動それ自体に完全に没頭している心理的な状態であって、(金を稼ぐとか絵を完成させるというような)何かの目的に到達することとは無関係なのである。(28頁)

 内発的動機づけを著者はこのように端的に定義づけた上で、自律と有能感という二つの要素から成り立つと述べる。まず自律から見ていく。

 ある行動が自律的だ、その人が偽りのない自分を生きていると言えるのは、その行動を開始して調整してゆくプロセスがその人の自己に統合されているときだけである。(5頁)

 結果ではなくプロセスが対象となっていること、加えて、そのプロセスを自身のあり様に合わせて自身で調整していることの二点が、自律的であるということの条件である。

 制限の設定は責任感を育てるうえでも非常に重要である。問題はそのやり方なのである。自律性を支えるしかたで制限を設けることによって、つまり相手を操作する対象、統制する対象と見なすことなく、制限される側の立場に立ち相手が主体的な存在であることを認めることによって、偽りのない自分であることを損なわずに責任感を育てることができる。(58頁)

 自律性の条件が自己に内在していることを考えると、自律性を他者によってサポートすることはできないように一見すると思える。しかし、著者はそうした考えを退け、他律的に他者に関与するのではなく、相手の主体性を前提に置いた上で関与することが大事であるとしている点に注目するべきであろう。

 有能感は、自分自身の考えで活動できるとき、それが最適の挑戦となるときにもたらされる。(89頁)

 第二の要素である有能感については、行動の背景にある考えや意志に自分が関与していることと、その内容が挑戦しがいがあり実行可能なものであること、という二点が挙げられている。企業における目標設定を考えれば、分かりやすいだろう。こうした点にも、内発的動機づけの基礎的な考え方は、本来、反映されているのである。

 では、こうした個人に根ざした内発的動機づけの概念が、他者や社会とどのように関わっているのか。

 人間の発達とは、生命体がより大きな一貫性を獲得していきながら、たえず自分自身と周囲の世界に対する内的な感覚を精緻化し、洗練するプロセスなのである。このように、われわれ一人ひとりにとって、自分はいったい何者なのかという問題の中心には、統合された自己という感覚を発達させようとする衝動があるのであり、こうした自然な発達の道すじにとってーー身体的にも精神的にもーー必要な活動が、内発的に動機づけられるのである。(108頁)

 自律と有能感とは、自分自身を主体に置きながら、環境との連続的な相互作用が求められる。こうして、自分自身に閉じることなく、謙虚に他者から影響を受け、また社会に貢献するという活動へと繋がることができる。他者や周囲に開いたフィードバックループを紡ぎ出す点が、内発的に動機づけられた行動の特徴なのである。

 こうした内発的動機づけにネガティヴな影響を与えるものとして、二点を取り上げておこう。

 心理学の用語に、自我関与(ego involvement)ということばがある。これは、自分に価値があると感じられるかどうかが、特定の結果に依存しているようなプロセスのことを指す。(中略)
 研究によれば、自我関与は内発的動機づけを低減するだけでなく、だれもが予想するように、学習や創造性を損ない、柔軟な思考や問題解決を必要とするあらゆる課題での作業成績を低下させる傾向がある。自我関与している人は融通がきかず、効果的な情報処理が妨げられ、問題に対する思考が浅く表面的なものになる。
 要するに、自我関与とは希薄な自己感覚のうえに構築されるものであり、自律的であることを妨げるように作用する。したがって、より自律的で自己決定的であるためいは、自我関与から距離をおかなければならない。あるいは、少しずつ自我関与を減らしていく必要がある。(160~162頁)

 一つめは自我関与である。特定の結果、通常は肯定的な結果が得られることを前提にしてプロセスに関与する自我関与は、私たちがよく陥りやすいものであろう。ある試合に勝つことだけを前提にしてそのプロセスにおける練習に取り組むことは、その結果が肯定的であれば良いが、否定的な帰結の場合にはその競技自体に対する興味を減衰しかねない。もしくは、終わった後に疲労感に襲われてやる気が起こらなくなるということもあるだろう。

 異常に強い外発的意欲は、偽りの自己の一側面として理解することができる。そうした意欲がそんなにも猛威をふるうのは、その目標を達成できるかどうかによって随伴的自尊感情が生じるからである。(183頁)

 自尊感情には、真の自尊感情と随伴的自尊感情という二つのものがある。真の自尊感情には「統合された価値や規範が伴っている」(165頁)のに対して、随伴的自尊感情は、ある物事の結果に左右する。したがって、結果がうまくいかない場合には、自尊感情を得ることはできない。

 ではどのようにすれば内発的に動機づけることが可能なのか。そのヒントとして、感情の統制を著者は最後に挙げている。

 感情を生起させる刺激の解釈を変えて感情を調節することは、感情を自己に統合し、また自律的になるために必要な二つのステップのうちの一つであり、その過程で、統制的な力を克服するための手段を手に入れることができる。もう一つは、感情が動機づける行動を、うまく調整するための柔軟性を得ることである。(260頁)

改めて、キャリアについて考える。

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