2015年4月4日土曜日

【第428回】『自己再生』(斎藤隆、ぴあ、2007年)

 この本が出版された直後に読んだ際には、ベテラン選手の再生というコンテクストで読んだものであり、自分には遠い世界の成功物語のようだった。しかし、今回改めて読み、自分自身を投影しながら読んでいる自分に気づき、感慨深かった。

 ひょっとしたら残された時間が少ないときこそ、立ち止まって考える、あるいは体を休めることが必要なのかもしれない。人間、追い込まれているときはどうしても先を急ぎがちになる。このときの僕もそうだった。結果を残したくて仕方がなかった。けれど、追いつめられているときこそ、一度深呼吸をして、自分を客観的に見てみることが大切だと思う。(26頁)

 著者は、引退ということを意識したときに落ち着いて、自分自身を客観視することができた、とする。私自身はまだ自分の引退ということは全く考えられない。しかし、キャリアが一区切りを付ける状態を経験している今、焦るばかりではなく、じっくりと、余裕を持ちながら今の職務に取り組みたいと思った。

 いくら自分の投球スタイルが確立されていないとは言っても、三十六歳になったのだから、自分なりの好みというものはある。特に日本にいたときはどの打者にどの球を投げるか、ある程度決まっていた。しかしアメリカに来たことで、そうした殻がすべて破られ、僕に新しい可能性が開けたのだ。新しい環境というものは過去をリセットしてくれるだけではなく、自分の知らない新たな可能性を自分に提示してくれる。同じ職場にいたら絶対に気づくことはできない可能性を。(98頁)

 キャリアの転機は、自分で作るものなのか、それとも訪れたときにそれを掴むものなのか。おそらく、そのどちらもの要素がキャリアの転機には必要なのではないか、と最近では思う。著者にとっても、野球へのモティベーションを高めるためにも新しいチャレンジが必要な時期であったのであろうし、それを後押しする他者の力というものもあったのであろう。そして困難もありながらも、その変化をたのしむ心のゆとりというものが、自分自身のうちにある新たな可能性の開花へと繋がったのではないだろうか。

 いちばん大切にしたのは、「感性」である。シーズンを通して感性を働かせて投げたような気がしている。そのために必要なことが観察だった。(115頁)

 日常における技術の変容もまた、ここでは描かれている。感性によって投球するというと、力任せに投げるようなイメージを持ってしまうが、著者によればそうではないようだ。感性を重視するために、観察を大事にしたという。スポーツのみならず、通常のビジネスにおいても参考となる考え方ではないだろうか。


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