2015年4月29日水曜日

【第436回】『先を読む頭脳』(羽生善治・伊藤毅志・松原仁、新潮社、2006年)

 記録によれば、本書を読むのは三度目のようだ。将棋界で長くトップ棋士として君臨する羽生善治さんの思考に関して、人工知能や認知科学を専門とする研究者の方々が解説する本書は読み応えがある。

 羽生さんの言葉を見ると、非常に冷静に自分の行動を眺め、そして的確な言葉で説明する能力を持っていることがお分かりいただけると思います。自分の行動や思考を自分の言葉で説明することを「自己説明」と呼び、この説明能力を磨くことで、効果的な学習ができるようになるという研究が、近年認知科学の分野で行われています。(36頁)

 羽生善治さんの様々なインタビュー記事や著書に触れたことがある方は、首肯されるのではないだろうか。また、将棋界以外においても、あるジャンルにおいて一線で長く活躍される方の発言や書籍を紐解くと同じ観想を抱くことが多い。「自己説明」とは、プロフェッショナルを創り出す一つの要素なのではないか。

 本章の最後で羽生さんは、「言語化の重要性」について言及していますが、思考の言語化が学習に非常に有効であることは、近年の認知科学でも注目されていることです。自分の考えを言語化するという作業は、自分を客観的にモニターして、考えをまとめ、理解したことに対して言語というラベルを貼るということを意味します。その結果、ラベル付けしたその事柄に改めて気づかされ、さらに理解が進むのです。この作業を繰り返すことで、知識が精緻化し、定着していくのです。(167頁)

 自己説明の効果的な鍛錬の一つが日常的に言語化を心がけるということであろう。これはなにも難しいことではない。SNSが発達した現代においては、ブログを用いて自身の考えを開陳して外に開かれたコミュニケーションを取ることは可能だし、より手軽にはFacebook等も用いられるだろう。意識して、自分自身の考えや意見を客観的な視点から文字にすること。そうすることで、私たちは、自分の分野におけるプロフェッショナルとして鍛錬することが可能なのではないか。

 初級者の人や、棋力の低い人の思想では、ある局面を見ると、駒野は位置を確かめてどんな局面にあるのかを理解して、どうなったら嬉しいのか、どうなりたいのか、ということを考えます。例えば、序中盤なら、「駒を得するにはどうすればよいか」とか「飛車や角を成り込むにはどうしたらよいか」といった目標を設定して、そうなるためにはどう指したら良いか、という風に考えます。いわゆる目標状態からの「逆算」です。
 ところが、羽生さんや上級者のプレーヤーの思考は全く違います。ある局面を見ると、見た瞬間にその局面が一局の大局の中のどんな状況かがすぐわかって、どうしたら良いのかといった結論が先に浮ぶのです。これが熟達者の行う「順算」です。(117~118頁)

 羽生さんのような達人たちが、我々素人が想像も出来ないほどの早さで正確な手を指せるのは、この「順算」の能力が大きく関わっていると考えられるのです。そして、この「順算」を支えているのが、「時間的チャンク」であり、これが「大局観」の正体ではないかと考えています。(119頁)

 ここでの指摘は私たちの一般的な通念と逆のことが書かれているのではないか、と私には思える。つまり、プロフェッショナルは先々のことを予見して、そこから逆算して行動を取っているように思うのであるが、著者は違うとしている。逆算ではなく順算こそが、熟達者が行っているプラクティスであるとし、それが大局観と呼ばれるものの正体ではないか、としているのである。たしかに、卑近な例で恐縮であるが、逆算で論理的に検討した内容が、経営者や経営層からの指摘で実務家的でかつ視野の狭いソリューションである、ということはよくある。気づきの多い箇所である。

 問題は自分ではぴったり合っていると思っていても、実は刻々と変化する状況の中で、徐々にズレていってしまう場合があるということです。そのズレた部分で、調子がおかしくなっていることがあるのです。
 時間の経過と共に生じるズレを自覚して、いかに調整して自分に合わせていくか。それを考えることが、おそらく自分自身の努力で調子の波を克服することのできる唯一の方法ではないかと思っています。(143頁)

 スランプと表現しても良いだろうし、単なる調子の浮き沈みと表現しても良いだろう。いずれにしろ、私たちの調子は一定ではないのであるのだから、悪いコンディションの時にどのように対応するか、が求められる。ここでも羽生善治さんは、自分自身の現状を認識することが第一であるとした上で、変化した状況から鑑みてズレた部分をモニターすることの重要性を挙げている。自分の取った言動を変えていなくとも、むしろ環境が変化していれば意味を為さないばかりか環境不適応になることすら起こり得る。心したい対応方法である。

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