2015年1月18日日曜日

【第405回】『知的資本論』(増田宗昭、CCCメディアハウス、2014年)

 著者は、CCC(カルチュア・コンビニエンスクラブ)の現CEOであり、LOFTやTSUTAYAを立ち上げたことで有名だ。近年では、代官山の蔦屋書店や、武雄市をはじめとした図書館などの公共施設の企画運営にも携わるなど、企画のプロフェッショナルである。その著者が、自分自身の経験や想いを紐解きながら、企画に関してじっくりと語る書であり、プロフェッショナルの言葉に唸る部分が多い。

 ではまず、良い企画とは何か。著者の言葉を見てみよう。

 会議室のチェアに座り、「何か目新しいことはないか」と考え始めた瞬間、そこから生まれる企画は形骸化し、生命力を失う。現場、すなわち顧客が実際にいる立場に立って、その人たちにとって本当に価値あることは何かを考え抜くことからしか、力のある企画は生まれてはこない。(15~16頁)

 良い企画とは、頭の中で考えて無から有を創造するものではない。頭で考えるだけでは、一見きれいに見える企画はできるかもしれないが、現場では機能しない画餅と堕してしまう。企画に携わる方々にとって、痛い記憶とともに思い返されることの多い含蓄のある言葉であろう。少なくとも私は該当する。では良い企画とはどのように為されるのか。著者は、現場を観察しながらそこにいる顧客という存在ありきで現場基点でデザインされるものである、とする。もう一段考えを深めていきたい。デザインとは何か。

 デザインとは、つまり可視化するということだからだ。頭の中にある理念や想いに形を与え、顧客の前に差し出してみせる作業。それがデザインだ。“デザイン”とは、“提案”の同義語なのだ。(57頁)

 顧客基点で、顧客の立場に立って想いを巡らせ、顧客にとって価値のあるものを形にして提案すること。これがデザインである。むろん、顧客にとっての価値の効用を重視するデザイン思考と、提供者側のオペレーションを重視する効率性という考え方は、利益相反を起すことが宿命づけられている。著者は対立する両者を踏まえたうえで、デザインを重視するとして、以下のように述べる。

 顧客価値を高められるのであれば、いかにオペレーションの面などでの困難が増すとしても、それは克服されなければならないのだと考えた。(53頁)

 企業のCEOとしての決意表明とも形容できる、清々しく簡潔な宣言である。効率性やオペレーションにおいて、基点はサービス提供者側にあり、顧客の側にはいないことに着目するべきであろう。そうであるからこそ著者は、業務効率性よりも顧客の立場に立ったデザインを重視するのである。さらに、現代の全てのビジネスパーソンにとって、デザイン力は必要不可欠であると著者は主張し、そのために必要とされる組織形態についても提案する。

 直列型の組織よりも、クラウド的な発想に基づく並列型の組織のほうが、これからの時代には有効性を発揮する可能性が高い。これは財務資本から知的資本へという時代の流れとも重なる。半世紀前、この国の未来を創ったのは轍とコンクリートだった。それを手にするためには、資金が重要だった。そしてこれからのこの国を創るのは、デザインだ。そのために必要となるのは、知性だ。(67~68頁)

 デザインがどの状況や背景においても重要な考え方であると著者はしていないことに留意するべきであろう。時代を取り巻くパラダイムに鑑みて、デザインが求められる時もあろうし、他の考え方が重要な場合もある。そのうえで、現代のビジネスを取り巻く環境要因を鑑みれば、知性を持つ人々のつながりによるデザイン力こそが求められるのである。

 思えば、私が社長で彼らが社員だからといって、では私が資本家で彼らが労働者かといえば、両者の間の関係は決してそんな図式で示されるものではない。彼らこそ、確かな“知的資本”を有する資本家なのだ。彼らと私は、その意味でも直列の関係にあるわけではなく、互いに並列に置かれているのだ。その認識なくして、優れたプロフェッショナルと協業の関係を築くことなど、できるはずがないだろう。(95~96頁)

 直列のレポーティング・ラインを拡げていけば、社長と従業員との関係にまで辿り着く。そこに至って著者は、社長と従業員との関係であっても並列関係であるべきだと断言する。経営資本を持つ経営者と、知的資本を持つ従業員とは、資本という価値をお互いにパラレルにやり取りする関係だからである。そうであればこそ、書籍のタイトルが知的「資本」論となっている所以であろう。では、並列関係という、下手をすればヨコに広がるばかりで拡散してしまいかねない関係性において、一つの企業体はどのように統合されていくのか。

 企画会社に当てはめれば、遠心力が向かうのは顧客だ。そして求心力が向かうのは仲間だ。スタッフ一人ひとりが、顧客に引かれる力と仲間に引かれる力を同じように持つことによって、イワシの群れの機動性を具現化することができる。
 だから、やはり自由と愛だと思う。自由は遠心力を生み、愛は求心力に対応する。愛を信頼や共感という言葉に置き換えてもいいだろう。ともかく、そうした価値観を持ち続けることができる人こそ、ヒューマンスケールの組織のスタッフとして、ふさわしい人なのだ。(182~183頁)

 遠心力と求心力、自由と愛。こうした二つのベクトルを統合させられるよう、組織自体をいかにデザインするかが、私たちに問われているのではないだろうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿