2015年1月10日土曜日

【第400回】『いまこそロールズに学べ』(仲正昌樹、春秋社、2013年)

 ジョン・ロールズの名前を初めて目にしたのは学部時代に受けた政治思想の授業である。彼の哲学は当時の私には印象的で、無知のヴェールやマキシミンルールといった概念は新鮮であった。約十年後、サンデルがブームになった際に、そのロールズが論破されているのを目の当たりにして懐かしい感覚と共に衝撃を受けた。と同時に、改めてロールズの思想に触れたいと思った。ロールズの著作そのものはハードルが高いように思え、まずは解説書を読もうと考えたのである。

 「自由」と「平等」の両立を可能にする体系的な「正義」論を構想したうえで、合理的(rational)な人ならば、それを受け入れるであろうことをーー彼独自の理論的な前提の下でーー証明してみせた。(20頁)

 ロールズが正義論を著した意図は自由と平等の両立を理論的に可能とするためのものであった。それを万人にとって受け容れられる哲学的なアプローチを正義論では取ったのである。

 ロールズが問題にしているのは、「全体としての利益」ではなく、「全ての当事者の利益」である。通常の功利主義であれば、ある立場の人たちの得る利益が、他の立場の人たちの被る不利益を上回れば、不平等は正当化される。それに対してロールズは、全ての当事者にとって、不平等のある状態の方が自分にとって有利であると信ずべき根拠があることが不平等の許容される条件である、との見解を取っている。(45頁)

 まずロールズが論破しようとしたのは功利主義である。極めて乱暴に言えば、現代における自由主義や保守主義の陣営における思想的なバックボーンとして功利主義は用いられていて、私たちにとっても馴染み深い考え方である。ロールズは具体的に、二つの原理に基づいた正義論を展開していると著者はしている。第一原理は「ルールの範囲内における自由を保証。「自由」を志向。」(45頁)し、第二原理は「ルールの範囲内で許される不平等の程度。「平等」を志向。」(45頁)する。

 「正義感覚」が、多くの人が社会化の過程においてごく普通に身に付ける能力であり、制度志向的な性質を有していることを示したうえで、ロールズは、「正義感覚」を備えた人々は、「原初状態original position」において、全員にとってフェアな仕方で、社会的協働を組織化することを可能にする正義の二原理を設定することに合意するだろうと推測する(52頁)

 彼は、「原初状態」にある人々が、「無知のヴェールthe veil of ignorance」の下に置かれていると仮定したうえで、彼らがどのような法制度を構築するか推論を進めていく。(『正義論』のカギになる)「無知のヴェール」とは、各人がその社会の中で過去、現在、未来においてどのような地位にあるのか、自然の素質や才能において他者と比べて有利か不利か、どのような利害や選好を持つのかといった情報を一時的に遮断してしまう、仮想の装置である。(77頁)

 無知のヴェールという想像上の装置をもとにした原初状態としての存在である人間観をロールズは正義論の大前提として置く。原初状態においては、先述した第一原理と第二原理とを用いた正義の観念を、人々は妥当なものとして認めるはずであることを、論理的に展開しているのである。

 こうした正義論によってロールズが拓いた世界観はどのようなものであったのであろうか。

 「リベラリズム」に哲学的バックボーンを与えるものとして期待されたのが、「原初状態」と「無知のヴェール」という道具立てによって、格差原理を正当化することを試みた、ロールズの「公正としての正義」である。(261頁)

 共産主義と対立する自由主義陣営におけるリベラリズムの理論的バックボーンを構築すること。これがロールズが目指した世界観であった。次に、そうした世界観の中において生きる人々に対して彼はどのようなメッセージを送ろうとしたのか。

 彼の正義論は、「最も不遇な人」に共感し、常に利他的に振る舞う聖人になることを私たちに強いるものではなく、個人の自己中心的な選択を社会的協働のための諸制度の樹立へと誘導している、私たちに自然と備わっている社会的想像力を、“もう少しだけ”拡張することを要請する、ささやかな提案なのである。(263頁)

 無知のヴェールという思考装置によって、不遇の中で生きている他者に対する視線を柔らかくすることを可能としたかったのではないか。


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