2015年1月5日月曜日

【第399回】『三国志(八)』(吉川英治、講談社、1989年)

 劉備、関羽、張飛亡き後、蜀の興隆を目指して獅子奮迅の如く戦野を駆け巡る孔明。その様には、私たちが学べるものがいくつもある。

 総じて、敵がわれを謀らんとするときは、わが計略は行いやすい、十中八、九はかならずかかるものだ。(25頁)

 反対の立場に身を置いてみると、思わずはっとさせられる孔明の言葉である。つまり、自分自身が何らかの策謀を心に抱いているとき、それを他者に利用されて手玉に取られるリスクが大きい。むろん、何か大きなことを成し遂げようとする時には計略も大事であろうが、日常的には謀などせずに正々堂々と生きることがいいように思う。自明のことではあるが、改めて大事にしたい。

 孔明が涙をふるって馬謖を斬ったことは、彼の一死を、万世に活かした。(中略)
 そのため、敗軍の常とされている軍令紀律の怠りは厳正にひきしめられ、また孔明自身が官位を貶して、ふかく自己の責任をおそれている態度も、全軍の将士の心に、
「総帥の咎は、全兵の咎だ。わが諸葛亮ひとりに罪を帰してはおけない。今に見ろ」
 という敵愾心をいよいよ深めた。(121頁)

 泣いて馬謖を斬るという故事成語でも有名なエピソードである。規律違反を犯した愛弟子を厳正に処分することで規律重視を明らかにすることであるとともに、孔明は自分自身も罪を受けて官位を下げることを帝に奏上している。こうした、規律違反者への処分と、そうした人物の失敗を招いた原因の一つとして自分自身を律する態度とが、規律の重要性を人々に浸透させたのである。

「口舌を以ていたずらに民を叱るな。むしろ良風を興して風に倣わせよ。風を興すもの師と吏にあり。吏と師にして善風を示さんか、克己の範を垂れその下に懶惰の民と悪風を見ることなけん」(260頁)

 いたく至言である。いたずらに命令するだけでは、相手は動かない。自分自身が率先垂範師、その結果を示し、プロセスを言語化することによって、相手は、自ずから主体的に動くようになるのであろう。

「真に、彼や天下の奇才。おそらくこの地上に、再びかくの如き人を見ることはあるまい」(364頁)

 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な司馬懿仲達は、孔明をして魏におけるライバルと認められた人物である。その仲達が述べた孔明に対する評価が引用の部分である。他者の言葉により、孔明のすごさがまた、より引き立つ。

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