2014年9月30日火曜日

【第347回】『私本太平記(二)』(吉川英治、講談社、1990年)

 天皇という存在ほど、日本史において興味深いものはないのかもしれない。

 だが、天皇御むほん?
 どうもおかしいではないか。こんな語は、ことばの意味をなしていないと、いう者もあるにはあった。
 武家もなく、幕府もなく、また院政だの、公卿の専横もなかった以前の世は、政治は天子が統べ給うものときまっていた。天子御一人のほかは、何者といえ、天子の親政を補佐るものにすぎないと、連綿、さだめられて来た国家である。
 その天皇。ーー今とて一天万乗の君と仰がれて九重に宮居し給うお方が、御謀反とは、たれへたいしての御謀反なのか。ーーしいて解せば、御自身が御自身へむかってする御謀反か?それ以外に謀反の相手は世にないはずの大君ではあるまいか。(53~54頁)

 <日本>という国の、非常に面白い点を指摘した部分である。本来、謀反とは、権力の中枢である主体に対して敵対的行為を取るものを意味している言葉であろう。では、当時の国家行政の主体であるはずの天皇が、謀反を起こすとはどのようなことなのだろうか。私たちは、日本史を学ぶ上で、鎌倉幕府に対して後醍醐天皇が謀反を企てて、倒幕した後に建武の親政を執り行った、と習う。しかし、天皇が謀反を起こすということは字義的におかしくないだろうか。この一見して矛盾に見える状態に、日本史における権力構造の不思議さが見出される。つまり、天皇とは三種の神器を中心にした権力の象徴であり、その周囲で影響力を発揮している者が実質的に権力者と見做されるのではなかろうか。したがって、後醍醐天皇は、象徴であるとともに実体としての権力を握ろうとした日本史上で希有な存在だったのである。

 象徴であるとともに実体でもある後醍醐天皇の有するエネルギーが莫大であるために、その周囲への人物への影響は計り知れないものがある。まずは、公家でありながら事変への中心的メンバーとなった日野俊基について。

 「ーーとはいえ、時は五月だ。若いみどりは萌え止まぬわ。俊基一人亡しとて、天下の夏が後ろ向きするものか。残る方々よ。いよよ強く世に生き給えや!」(301頁)

 宮中であるにもかかわらず、六波羅探題から派遣された幕吏に捕縛される際に、最後に宮中に隠れている人々に発した言葉である。あまりに激烈であり、武士ではなく公家の身としてこうした言葉が出てきたことに驚く。それと同時に、後醍醐天皇の近習への影響力の強さが、日野俊基の言葉に凝縮されているようにも思える。

 次に取りあげたいのは楠木正成である。明治期以降には、大楠公として称揚されたあの正成である。

 「あったら事だな。理も非もない日だ。ーー自体、理も非もない日に役立つ究理などは、学問とはいえぬものぞ。……そうならぬ和をお互いに支え合い、世の福祉を計り、とまれ妻子のなかで、無事一生をとげるのを以て、わしは学問としておるが」(206頁)

 軍学を学問と見做して軍学に励む弟・正季に対して述べた言である。後醍醐天皇が挙兵に至る前の発言であり、なにをもって学問とみなし、なにをもって善政とみなしていたかが分かるような言葉である。こうした政治観を持っている楠木正成をも、後醍醐天皇の持つエネルギーが戦乱の渦へと巻き込むことになるのだから、その強靭さが想起できるだろう。

 最後に、戦陣の火ぶたが切って落とされた際の著者の描写が印象的であるため、引用して終わりにしたい。

 大自然は、そ知らぬ顔だ。
 秋深む移りのほかは、雲の行きかい、山の姿、きのうも教も、変りはない。
 だが人間はついに、われからその棲み家を業の窯として、自分も他人も、煮え立つ釜中の豆としてしまった。(415頁)

 如何なる戦争であろうとも、それは人間の業が為すものにすぎない。

2014年9月29日月曜日

【第346回】『私本太平記(一)』(吉川英治、講談社、1990年)

 山本七平さんの本を読んでから、太平記を改めて読もうと思っていた。小学生の頃に読んで以来であると記憶しており、内容があやふやだったからである。しかし、読み始めた頃から既視感をおぼえていたのであるが、百頁ほど過ぎたあたりから、違和感が確信に変った。この本は読んだことがある、と。記憶とは不思議なもので、読んだことがないと記憶していたにも関わらず、読んでいくと細かなエピソードに馴染みがあることに気づく。それらが繋がって行くと、読んだ感覚を思い出せるのだから不思議である。読んだとしたら、大学院に通っていた頃であろう。数年前に読んだ本を、偶然とはいえ、読み直すというのは興味深い。意図せざる再読というものもまた一興だ。

 小説を読む時は、人物描写に着目して読むようにしている。簡潔にして、明瞭にイメージできるように人物を描くのは、小説家の腕の見せ所であろう。まずは、主人公の一人である後醍醐天皇について。

 わけて、常人の印象となるであろう点は、笛の孔に無心な指の律動を筬のように弾ませていらっしゃるそのお手のなんとも大きなことだった。貴人にして力士のようなお手である。把握欲と闘志の象徴とでもいえるものか。なみならぬ天賦の御気質のほどがそれには窺われる。(31~32頁)

 顔ではなく、手に焦点を当てているところがさすがである。手の様子を描写されることで、後醍醐天皇の人となりにイメージを持てるのだから、面白い。次に、もう一人の主人公である足利尊氏の描写について。

 その眼もとには、人をひき込まずにいない何かがあった。魔魅の眸にもみえるし、慈悲心の深い人ならではの物にもみえる。どっちとも、ふと判別のつきかねる理由は、ほかの部分の、いかつい容貌のせいかもしれない。(9頁)

 太平洋戦争の時期においては、天皇を賞讃せんがために逆賊として蔑まれるように扱われた足利尊氏。本作では、そうした歴史観に基づくものではなく、著者が中立的な立ち位置で、その不思議な魅力を表現するように努めている様が見えてくるようだ。

 では一体、何をそんな重荷に感じているのかといえば、いうまでもなく、かの“祖父家時の置文”にほかならなかった。
 その置文は、あの朝、密かに焼きすてて、内容だけを、自分一人の胸に秘封してしまったのだ。その日から、高氏という人間はどこか違ってきている。又太郎高氏の再生が始まっていたと過言ではない。(201頁)

 尊氏に天下を意識させたと言われる祖父の置文。それを読んだから大志を抱いたのか、そうした大志を本質的に持っていたためにそれによって顕在化したのか。私には、前者ではなく後者であったように思えるが、いかがであろうか。

 人なき折、解いてみると、書物の間には、国元の直義から右馬介あてに来た書簡二通と、また、彼自身の詫び状が挿んであった。
 「……おお、弟直義も、いつかわしの胸を知っていたのか。右馬介といい、直義といい、そこまで、わしに同意だったか」
 読みつつ、彼はまた涙を新たにした。そして、涙にぬれた左の手頚をふと見入った。
 彼の手頚には、この五月以前にはなかった痣ができていた。それは鎌倉中の人々に嗤われた日の記念だった。執権高時の愛犬“犬神”に咬まれた黒い歯型の痣なのである。(274~275頁)

 自分以外には置文の内容を秘していた尊氏であるが、最も近しい存在たちがその胸中を知悉しながらそれをおくびにも出さないことを知って感動を覚える様子が印象的である。さらに、そうした感動の心持ちの中で、現在の権力者への恨みを思い出させる傷をもってリマインドさせる好対照さが読んでいて心地よい。


2014年9月28日日曜日

【第345回】『愛するということ』(エーリッヒ・フロム、鈴木晶訳、紀伊國屋書店、1991年)

 NHK教育の「100分 de 名著」で興味を抱いていた本書。少し前に『自由からの逃走』(『自由からの逃走』(E・フロム、日高六郎訳、東京創元社、1951年))を読んで著者の書籍への関心はより強くなっていたため、満を持して読んだ。

 この本は読者にこう訴えるーー自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しないかぎり、人を愛そうとしてもかならず失敗する。満足のゆくような愛を得るには、隣人を愛することができなければならないし、真の謙虚さ、勇気、信念、規律をそなえていなければならない。これらの特質がまれにしか見られない社会では、愛する能力を身につけることは容易ではない。実際、真に人を愛することのできる人を、あなたは何人知っているだろうか。(5頁)

 原題は「The art of loving」であり、直訳すれば「愛する技術」といったところであろうか。著者は、愛するためにはなぜ技術が必要であると考えたのであろうか。その理由として、社会が近代化する過程において、愛を巡る状況に変化が生じたからであるようだ。主なものを二つほど挙げてみよう。

 自由な愛という新しい概念によって、能力よりも対象の重要性のほうがはるかに大きくなったにちがいない。(14頁)

 前近代的な社会においては、身分による制約や家による制約といった要因によって、結婚には不自由がつきものであった。親や社会が決めた相手と結婚するのが当たり前の社会においては、決められた結婚相手との結婚生活をいかに良くするかという能力に意識が向かうことになる。しかし、近代になると、自由な愛による結婚が実現することになり、自由に選べる結婚相手という対象に目が行くようになる。ために、能力ではなく対象の優先順位が高まるのである。

 何もかもが商品化され、物質的成功がとくに価値をもつような社会では、人間の愛情関係が、商品や労働市場を支配しているのと同じ交換のパターンに従っていたとしても、驚くにはあたらない。(16頁)

 次に、愛の商品化が挙げられている。つまり、自分自身という商品を鑑みて、自分にとって「お得」な価値のある相手を選ぶことが合理的な結婚であると見做される。自分自身の商品価値と共に、相手の商品価値を客観的に把握して、獲得し得る最大の効用を実現できる結婚を目指そうとするのである。

 こうした近代化以降の愛を取り巻く言説構造を俯瞰した上で、愛そのものについて、著者は主張を進めていく。

 人間が孤立した存在であることを知りつつ、まだ愛によって結ばれることがないーーここから恥が生まれるのである。罪と不安もここから生まれる。(25頁)

 まず、人間とは孤立した存在であることを前提として置いている。孤立した存在として、他者との愛によって結ばれていない状態において恥、罪、不安といった概念が生じるとしている。

 共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。(40~41頁)

 孤立した存在として個人は、他者との成熟した愛に基づく関係性を持つことによって、全体への結合感を得ることができる。しかしそれは、未熟な愛が時に起こすように、対象を偏愛するあまり忘我的に自己を喪失することを伴うわけではない。自分自身という個性を失わずに、かつ全体性をも有するというアンビバレンスな状態が成熟した愛としているのである。

 こうした成熟した愛を育むためには、愛される価値がある対象からの愛を受動的に待つのではなく、能動的に活動することが求められると著者は主張する。

 愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。(42~43頁)

 「fall in love」という英語表現に端的に表れているように、「愛に落ちる」という感覚を愛の理想であるかのように私たちは思いがちだ。しかし著者は、愛の能動性、特に他者に対して無償の愛を与えることの重要性をここで指摘している。

 もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、かならず他人のなかに何かが生まれ、その生まれたものは自分にはね返ってくる。ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを受け取ることになるのだ。与えるということは、他人をも与える者にするということであり、たがいに相手のなかに芽ばえさせたものから得る喜びを分かちあうのである。与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。とくに愛に限っていえば、こういうことになるーー愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。(46頁)

 愛における能動性とは、他者に愛という感情を与えるということである。さらに言えば、愛を与えることによって、他者に何かを生み出すということを信じる態度が必要なのであろう。かつ、そこに見返りを求めないこと。見返りを求めた愛は、他者に愛を生み出さない。見返りを求めずに他者に愛を与えることが、逆説的に、他者から愛が与えられることを可能にする。

 愛の能動的性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。あらゆる形の愛に共通して、かならずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも、愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊敬、知である。(48頁)

 「与える」も含めて、愛の能動的性質をここで端的に著者は述べている。こうした要素をもとにして、自分自身と異なる他者との間における能動的な愛について、著者は主張を進める。以下では、異性愛、自己愛、神への愛という三点について詳しく見ていこう。

 まずは異性愛について。

 私たちはみな「一者」だが、それにもかかわらず、一人ひとりはかけがえのない唯一無比の存在である。他人との関係にも、それと同じパラドックスが見られる。私たちは一つなのだから、兄弟愛という意味では私たちはすべての人を同じように愛する。しかし、それと同時に私たちは一人ひとり異なっているから、異性愛は、一部の人にしか見られないような、特殊な、きわめて個人的な要素を必要とする。(91~92頁)

 愛とは他者一般に開かれたものであると同時に、特定の他者への愛も存在するという愛のアンビバレンスがここでも示されている。普遍的な愛と個別特殊的な愛とがこの世の中には存在するのである。

 異性愛には、もしそれが愛と呼べるものなら、一つの前提がある。すなわち、自分という存在の本質から愛し、相手の本質と関わりあうということである。(90頁)

 異性愛の前提には、かけがえのない特殊な個人としての自分自身を愛することが前提として存在すると著者はする。そうした愛が存在することによって、個別的な自分と個別的な特定の他者との間にある関わり合いが強化されるのである。

 次に自己愛を取り上げよう。

 聖書に表現されている「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という考え方の裏にあるのは、自分自身の個性を尊重し、自分自身を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することとは切り離せないという考えである。自分自身を愛することと他人を愛することとは、不可分の関係にあるのだ。(94頁)

 自分自身を愛することができなければ、他人を愛することはできない、とここで著者は強く断言する。

 自分自身の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち気づかい・尊敬・責任・理解(知)に根ざしている。もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたら、その人はまったく愛することができないのである。(96頁)

 愛の能動的性質として挙げられていた四つの特徴が、ここでも挙げられていることに留意したい。他者を愛するだけではなく、自分を愛する上でもこうした四つの特徴が求められ、自分自身を愛することができることによって、自分自身を理解することができる。そうすることによって、他者を愛することができるようになるのである。

 第三に、神への愛について見てみよう。

 逆説論理学の一般原理については、老子が明確に説明している。「厳密に真実である言葉は逆説的であるように見える」。また、荘子の説明ではこうだ。「一つであるものは一つである。一つでないものもまた一つである」。これらの公式は「……であり……でない」というふうに肯定的だが、「……はこれでもなく、あれでもない」といった否定の公式もある。(114頁)

 非常に興味深いのは、西洋人である著者が、神について述べる上で、老荘をアナロジーとして用いている点である。もう少し深掘りしてみよう。

 道教の考え方では、インドやソクラテスの思想と同じく、思考が達しうる最高の段階は、自分の無知を知ることである。「知っていながら知らない〔と思う〕ことは病気である」。
 この考え方を押しすすめれば、当然、最高な神には名前がつけられないということになる。究極の現実、究極の「唯一者」は、言葉や思想では捉えられない。老子がいうように、「踏みしだくことのできるような道は、恒久不変の道ではない。名づけられるような名は名ではない」。(115~116頁)

 ソクラテスの「無知の知」との共通点を言うために、老子や道教がここでも例示されている。一つであって一つでないというアンビバレンスに目を向けた上で、そうした唯一にして唯一でない存在は名前を持たないということが指摘されている。

 逆説的思考は、寛容と、自己変革のための努力を生み、アリストテレス的な姿勢は、教義と科学を、すなわちカトリック教会と原子力の発見を生んだのである。(121頁)

 西洋哲学によって、カトリックの教えが科学的に正当づけられ、原子力をはじめとした近代科学文明を生み出したとしている。それに対して、名づけられない絶対的な神という考え方は、寛容と自己変革とを生み出したとしているのだから、興味深い。つまり、前者は神を神として尊敬するのではなく、神を科学によって尊敬するのにすぎないと、著者は暗に否定しているのである。

 最後に、能動的な愛をいかに涵養できるか、その修練について見てみよう。

 自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という革新をもてるからだ。自分自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。そして、ニーチェが言ったように、約束できるということが人間の最大の特徴であるから、信念が人間が生きてゆくための前提条件の一つである。(183~184頁)

 自分自身を信じること、つまりは自分に対して信念を持つこと。自分に信念を持つということは自己確信を意味し、自分が近い将来においても他者を愛することができるという確信をも意味する。だからこそ、信念こそが能動的な愛を涵養することの第一の前提条件としてここに提示されているのである。

 愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛にたいする信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである。(184頁)

 さらに言えば、自分自身の中に閉ざされたものとしての信念ではなく、そうした信念に基づいて愛を他者の中に生むことができると信じることである。

 他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。(184頁)

 自己に対する信念だけではなく、他者に対して開かれた信念がここで指摘されている。つまり、自分自身を信じるだけではなく、他者および他者の可能性をも信じるという開かれた信念が重要であるとされているのである。

 本論考を終えるにあたって、私たちに勇気を与えてくれる印象的な箇所を引用することとしよう。

 信念と勇気の習練は、日常生活のごく些細なことから始まる。第一歩は、自分がいつどんなところで信念を失うか、どんなときにずるく立ち回るかを調べ、それをどんな口実によって正当化しているかをくわしく調べることだ。そうすれば、信念にそむくごとに自分が弱くなっていき、弱くなったためにまた信念にそむき、といった悪循環に気づくだろう。また、それによって、次のようなことがわかるはずだ。つまり、人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
 愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。(189~190頁)


2014年9月27日土曜日

【第344回】『芭蕉雑記・西方の人 他七篇』(芥川竜之介、岩波書店、1991年)

 芥川があまりに早い自死へと到る最晩年の五年間におけるエッセイを集めたものが本書である。以下では、表題にもなっている「芭蕉雑記」「西方の人」の二つのエッセイについて私の所感を記していく

 まずは「芭蕉雑記」について。

 芭蕉の語彙はこの通り古今東西に出入している。が、俗語を正したことは最も人目に止まりやすい特色だったのに違いない。また俗語を正したことに詩人たる芭蕉の大力量も窺われることは事実である。(18頁)

 松尾芭蕉の特徴の一つとして、彼の生きた時代では俗語と見做されていた言葉を巧みに用いた点が挙げられている。

 白楽天の『長慶集』は『嵯峨日記』にも掲げられた芭蕉の愛読書の一つである。こういう詩集などの表現法を換骨奪胎することは必ずしも稀ではなかったらしい。たとえば芭蕉の俳諧はその動詞の用法に独特の技巧を弄している。(30頁)

 芭蕉は、俗語を俳句に用いただけではなく、中国の古典からも学んで活用したと著者は指摘している。具体的には、以下に述べる、あまりに有名な俳句もそうであったようだ。

 閑さや岩にしみ入る蝉の声(30頁)

 次に「西方の人」について見てみよう。

 クリストは第一にパンを斥けた。が、「パンのみでは生きられない」という注釈を施すのを忘れなかった。それから彼自身の力を恃めという悪魔の理想主義的忠告を斥けた。しかしまた「主たる汝の神を試みてはならぬ」という弁証法を用意していた。最後に「世界の国々とその栄華と」を斥けた。それはパンを斥けたのとあるいは同じことのように見えるであろう。しかしパンを斥けたのは現実的欲望を斥けたのに過ぎない。クリストはこの第三の答の中に我々自身の中に絶えることのない、あらゆる地上の夢を斥けたのである。この論理以上の論理的決闘はクリストの勝利に違いなかった。(107~108頁)

 聖書におけるキリストの言動の意味がよく分からず、聖書は難しいと感じてきた。しかし、著者が述べるように、そうした彼の一見して矛盾していたり一貫していない言動を弁証法のアプローチとして認識すれば把捉できることもある。彼が何を結論として述べたり行動したりしたというよりも、弁証法のアプローチにこそ、キリスト教の深みはあるのではないだろうか。

 我々は唯我々自身に近いものの外は見ることは出来ない。少くとも我々に迫って来るものは我々自身に近いものだけである。クリストはあらゆるジャアナリストのようにこの事実を直覚していた。花嫁、葡萄園、驢馬、工人ーー彼の教えは目のあたりにあるものを一度も利用せずにすましたことはない。「善いサマリア人」や「放蕩息子の帰宅」はこういう彼の詩の傑作である。抽象的な言葉ばかり使っている後代のクリスト教的ジャアナリストーー牧師たちは一度もこのクリストのジャアナリズムの効果を考えなかったのであろう。(114頁)

 真のジャーナリストとは、宗教の創始者なのかもしれない。聴衆に合わせて巧みにアナロジーを用いて、相手に分かるように自身の思う真実を伝える存在をジャーナリストと呼ばずして、いかに形容できるだろう。

『聖書の読方 来世を背景として読むべし』(内村鑑三、青空文庫、1916年)

2014年9月24日水曜日

【第343回】『昭和史の教訓』(保阪正康、朝日新聞社、2007年)

 教訓を教訓として理解するには相応の感性と理性が必要である。その感性と理性に欠けている限り、教訓そのものが存在することさえわからない。つまり過去の歴史と向きあう姿勢をもちあわせていないということでもある。(5頁)

 歴史を教訓とできるかどうか。その鍵は、過去の歴史と真正面から向き合うという、ともすると見たくない目を向けざるを得ない覚悟を私たちが持てるかどうかにある、と著者はしている。では、昭和史から何を私たちは教訓とできるのか。三つの観点から眺めていこう。

 第一に、二・二六事件を挙げてみたい。

 二・二六事件は昭和初年代の時代の空気を「因」とすれば、その「果」であった。どのような意味で「因」が存在するのか。私はそこにはさしあたり三つの視点が存在するといっていいように思う。
 (一)動機が正しければあらゆる行動が許される
 (二)天皇神格化による臣民意識の涵養運動
 (三)国際的孤立からくる心理的、政治的な閉塞感(27頁)

 昭和十年代に起きたあの一連の戦争へと招いたものは何であったのか。著者が掲げている簡潔にして明瞭な三つのポイントは、納得的である。

 二・二六事件が「因」となっての「果」は、こういう形であらわれていた。そのことがわかってくると、きわめてあたりまえのことだが、歴史は人によってつくられるが、その人の重用を誤るととんでもないことが起こりうるとの教訓が引きだされてくるように思うのだ。理性的な判断より感情的、情緒的判断に終始し、とにかく自分の殻に閉じこもっていく。悪いのはつねに相手であり、自らには何の責任もないというのが、東條の性格であり、東條に戦時下にとりたてられた軍人たちに共通の性格であった。(51頁)

 先述した三つのポイントを招いた主要な原因の一つは人事であった。二・二六事件が東條をして首相の座へと近づけたという結果を招いたことを考えれば、その歴史的な事件としての多面性に私たちは留意するべきだろう。

 この二・二六事件のもつ多面性を見ずに、この事件を青年将校のエネルギーの暴発と見るだけの失敗論や昭和天皇が激しく怒ったという聖慮重視論だけでは、事件の本質はつかめないということがわかるのではないだろうか。暴力を軸に、そしてそれに伴っての恫喝を用いながらこうして軍事ファッショ体制は確立していった。(54頁)

 二・二六事件は、青年将校による単なる暴発であり、昭和天皇から否定されたことによって失敗したクーデター未遂であると私たちは学校の歴史で学ぶ。しかし、それだけでは、この事件の本質を理解したことにはならないと著者は指摘する。歴史から教訓を紡ぎ出すためには、東條による人事や、その後の出来事への波及効果を鑑みる必要性がある。

 第二は主観主義について。

 総力戦の構想は、第一次世界大戦を学んだ軍人たちの共通のテーマであった。日本にこのテーマをもちこんだ軍人たちは、戦争がこれまでの軍人、兵士が特定の地域で軍事行動を競い、その結果で勝敗が分かれるという時代から、国家のあらゆる組織、機構が戦時体制に切りかわる時代に変わっていくことを実感した。(123~124頁)

 まず、軍部が総力戦による戦争へと突き進んだ動因として、第一次大戦における国民による総力戦の強靭さが挙げられている。一部の軍事エリートだけではなく、国民をも戦争へと巻き込むようにするためのインセンティヴが第一次大戦の結果として生み出されたのである。

 庶民からの国民史は、むろん前述のような近衛内閣の国策の基本要綱と直結していくこともわかる。下から近衛内閣が突きあげられていくとの構図もわかる。そのことは下部構造のナショナリズムがきわめて単純で素朴な言語空間によって生みだされ、それが実はあまりにも簡単な自己礼賛のみでしかないことにも気づいてくるのである。(119頁)

 軍の暴走を防ぐ役割を果たし得る議会は、国民の世論から影響を受ける存在である。その国民の一人である女性教師が、東京日日新聞が1940年に募った国民史への投稿内容が本書では引用されている。非常にナショナリスティックな内容であり、軍部からと国民からとの双方からの突き上げにあって、議会も戦争肯定へと意識を向けざるを得なかった側面があった状況が理解できる。私たち国民一人ひとりの意識と態度が、政府や軍隊の暴走に歯止めをかける国会への働きかけに繋がることを、いま一度心に留めたい。

 第三は、軍隊に対する意識である。

 <中国の国情、歴史、その置かれている現状などを詳細に分析して戦いを始めたわけではない。つまり戦うべき相手(この時代では「国」ということだろうが)のことは自らの頭の中でしか存在していない。客観的に彼我の力関係を分析するのではなく、自らの尺度でのみ政治的、軍事的現実を分析している。つまりはそれは思いこみと偏見でえがかれる分析であった>(165頁)

 第二のポイントとして挙げた主観主義を基に、満州事変以降の中国への進出における客観的分析の欠落が指摘されている。ではこうした動きをドライヴした動きとは何であったのか。

 日中戦争を追いかけていくとわかるが、常に軍事が先行し、それを政治が追認しているという状態がくり返されている。実際に政治の側が行うべき和平工作や終戦工作は、明確な方針を打ちだすことができず、軍事にひきずられているどころかときには軍事以上に強硬なこともあるというのが現実の姿であった。軍事がどのようにしてこの戦争を終結させるかとの戦略をもっていないことがわかると、近衛内閣の閣僚の側が強硬策に変わっていったのがその例である。(170頁)

 主観主義に基づく場当たり的な軍事の暴走を、政治は追認するしかなかったというのだから、恐ろしい話である。しかし、先述したように、中国への膨張主義は国民世論にも合致するものであったために、行政機関もまた、強い反対をできないままに追認したというのが現実であろう。

 本来、国自体がバランスよく成長しているのであれば、軍隊はつねにそれを守るという防禦の軍隊ということになる。ところが軍人たちのこのような「戦争を欲する感情」は、「結局は侵略性を帯びてしまう」ことになるといってもいい。戦争がなければ存在を明らかにできないこの屈折した感情こそ、帝国軍人のもっとも忠君愛国を支えた心情ということになるのではないか。(174頁)

 日本軍が海外への膨張主義を取ってしまった背景には、軍隊とは新しい領土を得たり、多額の賠償金を得ることを目的とした組織である、という暗黙の了解があった。つまり、そうした目的をレゾンデートルとした日本軍は、日本を守るという自衛の軍隊ではなく、諸外国と戦争をするという侵略を目的とした軍隊であった。日清戦争で多額の賠償金を獲得し、日露戦争で領土を得た、という成功体験が、日本人をして軍隊に対して侵略的な機能を付与した。私たちが意識したくはないが、これが私たちにとって学ぶべき教訓である。


2014年9月23日火曜日

【第342回】Number861「革命を見逃すな。」(文藝春秋、2014年)

 テニスの錦織圭選手とプロ野球の大谷翔平選手を特集した本号。若いホープの活躍に魅せられるのは相変わらずで、タイトル買いしてしまった。特に印象に残ったのは大谷選手に関する以下の三点。

 「確かに、今年はここに投げなきゃいけないとか、こういう球を投げなきゃいけないという部分を、あまり考えなくなりました。自分がやってきたリズムやフォームに集中して、こう動いて、こう投げると、きっとこういう球がいくと考えて投げれば、別にどういう球がいこうとも気にしません。去年は、一人一人に対して、どう投げなきゃいけないかってことばかりを考えて投げていたんですけど、今年は自分の球をしっかりと投げればいいのかなと、割り切って投げてます。そこは、相手のことよりも、しっかりと自分の持ってるものを出そうということです」(31頁)

 彼自身のこの言葉には、練習やルーティンといったプロセスに対する自負と自信が垣間見えるようだ。プロセスに対して意識のぶれがないため、結果としての投球に対して過敏に反応をしない。投手という繊細なアスリートにとって、こうした自信と大胆さとが合わさったことが、二年目の飛躍に繋がったのではないだろうか。

 「大谷は花巻東にいたころから、場面と状況によって自分を使い分けていました。投手の大谷と打者の大谷とは違うし、試合の局面によっても変わる。プレー中は攻撃的なところを剥き出しにしますが、私やチームメートと話すときは穏やかで淡々としてるんですよ。そんなメンタルの強さがあるから、何を言われても落ち着いていられるんじゃないか」(48頁)

 二刀流というこれまでの日本のプロ野球史では非常に希有な存在であっても、高校野球では実質的に遂行している選手も多い。彼もまたその一人であった。それぞれの役割において意識を使い分け、また場面ごとによっても自分自身の意識を変えていた、と高校時代の監督に言わしめるのだからすごい。こうした投手と打者とでの意識の違いについては、以下の栗山監督の言葉にも現れている。

 バッターの翔平は、何を言っても素直に聞くし、「ここは送らなくていいんですか」と訊いてくる。でもピッチャーの翔平ときたら、どれだけこっちの言うことを聞かないか(笑)。ピッチャーをやると、翔平は試合に入り込んじゃうんだ。あの負けず嫌い、頑固さは責任感の表れなんだろうね。チームを絶対に勝たせるという先発ピッチャーとしての責任感があるから、誰が何を言っても聞かない。いいと思うけどね、そういう翔平も……。(36頁)

 投手と打者。役割が異なればメンタリティーも異なるものだ。それを、自然なのか演技なのかはわからないが、巧みに使い分ける。彼の今後がたのしみでしかたがない。


2014年9月22日月曜日

【第341回】『単純な脳、複雑な「私」』(池谷裕二、講談社、2013年)

 脳が支配する体側は左右交差しますね。だから人の顔を見るとき、左側の視野で見たものは、交差して右脳に届きます。これでおわかりですね。私たちが見たものを判断するのは「左側」の視野が中心。
 たとえば、(中略)本やポスターは左側のイラストや写真を載せた方が印象に残ります。もっと身近な例では、魚料理もそう。頭を左に向けて置きますよね。(50頁)

 著者の書籍を読むのは数年ぶりである。久々に読んでみて、改めた読んでいて心地よいと感じた。最初に引用した箇所に現れているように、科学的な知見を説明した後で、相手がイメージし易いように、記憶に残るような例示を重ねているからであろう。本書が、著者の出身高校の学生への講義録であるということもあろうが、読者や聴き手を意識した言葉の選択が、著者の書籍における魅力の一つであろう。

 まず著者は、冒頭の部分において、科学とりわけ脳科学の基本的な考え方について、説明を行なっている。

 私たちの心には、「意識できるところ」と「意識できないところ」があるってことです。意識と無意識ですね。そして、どっちの世界が広大かといえば無意識。つまり、私たちの行動や思考のほとんどは無意識的な振る舞いです。
 でも残念なことに私たちは、意識できるところしか意識できないですよね。まあ、それが意識の定義だから、当たり前ですけど。だから、その意識できている自分こそ、自分のすべてであると思い込んでしまいがちなんですよ。
 でも本当はそんなことはない。無意識のレベルで私たちはたくさんのことを考えたり、判断したり、決断したり、欲情を生んだりと、いろんなことをしているんです。
 だから、自分が想像しているほど、自分のことは自分ではわからないんです。「自分のことは自分が一番知っている」なんて思い込みは、ちょっと傲慢で、危険ですらある。他人の方が、案外、自分のことを理解してくれていたりするでしょう。(20~21頁)

 意識できる領域と無意識の領域とでは、後者の方が広大であると説明した上で、私たちが意識できている世界の小ささを指摘している。したがって、自分たちが自分たちの認識している世界をコントロールしているかのような夜郎自大になることに警告を投げかけている。無意識の領域に意識を向けることで、謙虚な気持ちを持つこと、そうした制約の中における私たちの心理や行動を科学することが大事なのであろう。

 私がとくに強調したいことは、サイエンス、とくに実験科学が証明できることは、「相関関係」だけだということです。因果関係は絶対に証明できません。(中略)
 では、科学的に因果関係を導き出せないとすると、この世のどこに「因果関係」が存在するのでしょうか。答えは「私たちの心の中に」ということになります。つまり、脳がそう解釈しているだけ。因果とは脳の錯覚なわけです。(28~29頁)

 どのような学問領域であれ、科学的な研究に携わった人間にとって、因果関係を証明することはできず、相関関係の有無を証明することしかできないことは自明である。著者はこの点を脳科学という観点からさらに深掘りし、因果関係を創り出しているのは私たちの心の中であると指摘する。

 哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が相応の活動をすること」と、手短に落とし込んでしまってよいと思います。つまり私は「事実(fact)」と「真実(truth)」は違うんだということが言いたいのです。
 脳の活動こそが事実、つまり、感覚世界のすべてであって、実際の世界である「真実」については、能は知りえない、いや、脳にとっては知る必要さえなくて、「真実なんてどうでもいい」となるわけです。(37頁)

 ここに、脳科学における射程範囲が明確に書かれている。つまり、脳が認識できる事実を明らかにすることが脳科学が詳らかにする範囲であり、その範囲を認識しておくことで他の学問領域との協働の可能性が見えてくるのであろう。

 こうした基礎的な考え方を踏まえた上で、以下からは、各論について印象的であった部分を列挙して所感を記していく。

 錯誤帰属なんて、はじめて聞く言葉ですね。これは、自分の行動の「意味」や「目的」を、脳は早とちりして、勘違いな理由づけをしてしまうということです。(62頁)

 脳は先んじて何かを意図するというよりも、自分自身が行なった行動の意味付けを後から行なう。自分自身の生きている意味や、行なった行動を正当化するために、自身の言動に意味を見出そうとするのである。

 直感もひらめきも、何かフとしたときに考えを思いつくという意味では似ているのですが、その後、つまり、思いついた後の様子がまるで違うのです。「ひらめき」は思いついた後に理由が言えるんですよ。(中略)
 一方、「直感」は自分でも理由がわからない。「ただなんとなくこう思うんだよね」という漠然とした感覚、それが直感です。そんな曖昧な感覚なのですが、直感は結構正しいんですよね。(中略)
 脳の部位でいうと、理由がわかる「ひらめき」は、理屈や論理に基づく判断ですから、おそらく大脳皮質がメインで担当しているのでしょう。一方の「直感」は基底核です。(79頁)

 私のような素人には似たような概念として捉えてしまいがちな直感とひらめきについて、その違いを内容面と扱う部位の面から分かり易く述べている。ひらめきについては、先に引用したように、後から脳が理由を創り出すというポイントと近いことに留意するべきであろう。

 情報はきちんと保管され、正確に呼び出されるというよりも、記憶は積極的に再構築されるものだってこと。とりわけ、思い出すときに再構築される。思い出すという行為は、単に蓄えられた情報をそのまま引き出すだけでなく、想起を通じて記憶の内容を組み換えて新しいものにする。それが再び保管されて、次に思い出すときにも、同様に再構築されていく。(146頁)

 記憶とは過去の事実をそのまま再現できることではない。過去を振り返ることによって、事実とは異なる新しいものへと変更が為される。つまり、過去の複数の事象を振り返ることによって、私たちは新しい組み合わせを生み出すことができ、そうしたものから創造的な発見が生み出されるのであろう。

 きっとね、行動や決断に「根拠がない」という状態だと、不安で不安でしょうがないという心境になるのだろうね。理由がないと居心地が悪い。だから、いつも脳の内側から一生懸命に自分の「やっていること」、もっと厳密に言えば「やってしまっていること」の意味を必死に探そうとしてしまう。(169頁)

 私たちは過去を探究するために振り返るだけではない。ここでは、理由を創り出すために私たちは過去に目を向けることがあるが示唆されている。そうすることによって、私たちの行動に意味があることを見出して自分自身を納得させることができるのである。

 そういえば、若者たちには、ときどきおもしろい行動を取る人がいるね。「自分探し」とかいって奇妙な旅に出かけちゃう人。自己存在の理由を求めたいんだろうね。
 でもさ、そうやって発見した「自分」が本当の自分だという確証はあるんだろうか。だって脳は作話だらけだから。ウソで塗り固められた虚構を「真の自分だ」と妄信するのは、うーん……まあ、本人の勝手か(笑)。(175頁)

 不安であるが故に理由を探す、という脳の特徴は、「本当の自分」という虚構としての自己の理由を探す自分探しという現代的な現象をも生み出したのであろう。

 「共感」もまた痛みの転用の結果だと言えるね。「疎外感」だけでなく、相手を思いやる温かい気持ちも「痛覚」から生まれるなんて、なんだかホントおもしろいね。そうやって、僕らの「心」の働きは、動物たちが長い進化の過程でつくり上げてきた脳回路を巧妙に使い回して、その合わせ技の上に成立している。(186頁)

 脳の特徴として、同じ領域において異なる複数の感覚を担当しているという点が挙げられている。違う言い方をすれば、限られた領域の中において、可塑性のある豊かで多様な感覚を生み出す工夫を私たちの脳は行なっているのである。

 普通の感覚だと、自由意志は、「行動する内容を自由に決められる」という感じで、あくまでも「行動の前に感じるもの」だと思いがちだけど、本当は逆で、自分の取った行動を見て、その行動が思い通りだったら、遡って自由意志を感じるんだね。結果が伴わない限り自由はない。
 つまり、自由の発生順が逆なんだ。自由というと君らは「未来」に向かって開かれているような気がするでしょ?でも実際には、自由は「過去」に向かって感じるものだ。
 ここで僕が論じたかったのは、「自由意志が存在するかどうか」という問いは、その質問自体が微妙なところがあって、今の議論のように、むしろ、自由を「感じる能力」が私たちの脳に備わっているかどうかという疑問にも変換しうる。つまり、自由意志は、存在するかどうかではなくて、知覚されるものではないか、とね。(282~283頁)

 自由という感覚は、未来ではなくて過去に向けて、存在するのではなく知覚するものである、と著者はする。過去に向かって知覚するということは、自分自身の豊かな認識に対して開かれているというようにも読み替えられるだろう。このように考えれば、私たちは、どのような境遇であっても自由を感じる能力を、脳によって与えられているのかもしれない。

 最後に、脳科学の学際性について。脳科学の有する可能性について触れて、本稿を終わりにしたい。

 脳科学というのは、今までまったく無縁だった学問、たとえば、哲学とか心理学とか社会とか、そういったものを結びつける接着剤の役割を担える分野なんだ。最近では、経済や政治、倫理学、芸術や奇術などにも、脳科学は接近しているんだよ。(432頁)

『ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学』(森山徹、PHP研究所、2011年)

2014年9月21日日曜日

【第340回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)

 ドラッカーの大著『マネジメント』と、孔子やその弟子たちによる言行録である『論語』。時空を超えた二つの書籍を読み比べるという斬新な試みを行う本書は、私の知り合いの複数の方々の推奨の声もあったので、以前から気になっていた書籍である。期待が大きいと裏切られるリスクもまた大きいものであるが、本書の場合は、良い意味で期待を裏切られた。

 両者は、同じ問題、すなわち人間社会の根幹であるコミュニケーションの統御をいかに行い、それによって組織をいかに正しく運営するか、という問題についての、深い考察の書である、という結論に至った。(kindle ver. No. 21)

 冒頭で著者は、二つの書籍の共通点を「人間社会の根幹であるコミュニケーションの統御をいかに行い、それによって組織をいかに正しく運営するか、という問題についての、深い考察の書である」とした。後段にある組織マネジメントに関する部分は、私たちの多くが想像している通りである一方、前段についてはいささか意外に思われる方もいるのではなかろうか。

 私見によれば、ドラッカーのマネジメント論の要点は以下の三つである。
 ①自分の行為のすべてを注意深く観察せよ、
 ②人の伝えようとしていることを聞け、
 ③自分のあり方を改めよ。
 自らの世界に生じているものごとの本質に触れたなら、世界の見え方は一変する。世界の見え方が変われば当然、そのなかにいる「自分」のあり方も改まる。この時まさしく、パッと目の前が大きく開けた感じになり、自然と涙があふれてくる。そこには「恐れ」はない。(kindle ver. No. 241)

 まず『マネジメント』について著者は、上記のように端的に要諦を指摘する。管理職研修において、ManagementはPeople ManagementとTask Managementとに大別されるとよく言われる。しかし、Managementの大家であるドラッカーのマネジメント論の三つの要点は、人の管理や仕事の管理と聞いて私たちがイメージがするものとは印象が異なる。むしろ、自分自身を知ること、他者を知ること、自分と他者との関係性を知る、という深い人間観察と人間関係への思慮が挙げられていることに留意するべきであろう。

 同じ趣旨のことが『論語』でも指摘されていることを、著者は以下の部分で述べている。

 彼(引用者註:孔子)が着眼していたのは、儒教による人間の相互依存関係を前提とした倫理観である。
 ご存知のように、儒教の倫理においては、君臣、父子、夫婦、長幼、兄弟、朋友というように人間関係を分類し、それぞれの関係において、それぞれにふさわしい振る舞いをすることが「誠実」とされる。これはつまり、関係が一方通行ではないということである。(kindle ver. No. 311)

 『マネジメント』と『論語』が共通したポイントを取りあげていることをここまで見てきた。両者ともにもはや古典と呼ばれる存在である。著者は、特に『論語』に焦点を置きながら、古典を読む重要性について触れている。

 古典というものに、絶対的に正しい解釈などというものはそもそもありえない。その価値は、読む者が、自らの問題を考え、乗り越えるための手がかりを与える、ということにある。
 とはいえ、それは勝手に読めば良い、ということではない。それでは自分の思い込みを正当化する手段にしかならず、新しい発見の手がかりとして機能しないからである。できる限り古典の本来の姿に肉薄する、という姿勢がなければ、自分の思い込みを乗り越える手がかりとはならない。(kindle ver. No. 363)

 含蓄に富んだ表現であると同時に、アンビバレントな物言いであることに着目するべきであろう。まず古典の価値の一つとして、自らの関心や視座に惹き付けて古典を自ら工夫して糧にするということが挙げられている。他方で、その古典が述べようとしている本質は何かを考え抜き、無手勝流の自己正当化に堕さないように誠実に解釈することもまた求められると指摘する。こうしたアンビバレントな試みを経て、古典から自分なりの知見を引き出すことができる可能性が出てくるのであろう。

 「学び」だけでは、取り込んだ情報に振り回されるだけだ。その情報がいつしか、しっかりと身について生きた知識となるなら、これが「習う」だ。「学び」を完全に自分の一部にする。「復習をする喜び」などより、遥かに人間にとって普遍的な喜びではないだろうか。
 かつて取り入れた古い「学んだこと」が鍛錬の末、新しい自分を育む。それを、親しい友人が遠くから思いがけなくたずねてくる喜びにたとえられているのではないか。つまり、古きをたずね、新しきを知る。「温故知新」である。(kindle ver. No. 429)

 温故知新に関する著者の解釈である。学びを頭のレベルのみで留めるのでは、空理空論をかざすのみに留まってしまう。頭で理解したものをもとにして、自分自身で工夫を試みながら自身の経験や体験に結びつけてみること。それは自分自身の内に存在する多様な潜在的可能性の萌芽を見出すことである。時にそうした可能性の発見は、過去の自分の経験や体験を脅かす存在にもなり得るが、可能性の発見は現在や将来における喜びでもあろう。

 孔子が生きたのが、中華世界史上初の大規模組織が生まれ、官僚組織の運営というまったく新しい問題に直面した時代だということは前にも触れた。この難題に対して、孔子が出した答えこそが「仁」、つまり、学習回路を開くことができる者たちによる統率である。(kindle ver. No. 447)

 温故知新に求められる態度こそが仁であり、仁とはすなわち学習回路を開くことである。『論語』はともすると、保守主義のように旧弊を墨守し、制度に固執するというイメージを持たれる。しかし、自分自身の学習回路を他者に対しても自分に対しても開くことが重要視されているという指摘に私たちは刮目するべきであろう。

 「仁」という『論語』とドラッカーに共通する概念が見えてくると、『マネジメント』の要求する経営者の資質とは何か、という問いかけの答えもおのずと見えてくる。
 「學而時習之」にも「フィードバックを通じた学習」にも共通して必要なことは、成功も過ちもすべてひっくるめて自分の身の回りに起きた出来事すべてを成長の機会だととらえることだ。(kindle ver. No. 493)

 学習回路を開くという『論語』における仁の要素は、『マネジメント』におけるフィードバックを通じた学習と相通ずるポイントであると著者は指摘する。さらに深掘りを行い、自分自身の周囲に対してオープンマインドで接し、柔軟に対応することの重要性を指摘している。

 「苦手克服」は絶対にやってはならない、という指摘は、特に重要である。そんなことをすると惨めになって自尊心を損ない、自分を見失うからだ。自分を見失うことなく、試行錯誤を常に繰り返して成長をしていく。このような不断の努力を貫く姿勢を、我々はすでに見ている。そう、これが『論語』のいうところの「仁」であり、学習回路が開いた状態であることは前も述べた通りである。つまり、「己を知る」という行為も、やはりドラッカー思想の根幹をなす「フィードバックと学習」を進めていくということなのだ。(kindle ver. No. 812)

 学習回路が開いた仁の状態とは、フィードバックと学習を進められる状態に通ずる。この考え方を踏まえて、ドラッカーが述べている弱点克服ではなく強みの強化という点にまで主張をすすめていっている。では「己を知る」とはどのように行うのか。

 自分が自分のことを知らないことに気づく。
 これがすべての大前提である。これに気づくことで「知」というフィードバックと学習の過程が始まる。その結果として以下の作動が起きる。
 ①真剣に自分を知る努力をする。
 ②他人のことを理解することができるようになる。
 ③その結果、自分を他人に理解してもらうことができる。
 これを図式で表すと、こうなる。
 己知己→己知人→人知己
 これは『論語』の議論の構造と同じである。学習を重んじる両者が、深い洞察の上で同じく「己知己」という結論に至ったというのは、ある意味では自然の流れである。(kindle ver. No. 868)

 他者から自分が全うに評価してもらえないと私たちは嘆くことがある。他者から評価されるためには、評価されたい他者がどのような評価軸を持っているのか、他者の人となりはどのようなものなのか、という他者を理解することが必要である。次に、他者をありのままに理解するためには、自分自身の視座を理解し、自分の有り様を理解することが必要だ。自分の有り様を理解していなければ、自分というレンズを通じて他者を理解することなどできないからである。したがって、まず自分自身を真剣に知ろうとすることが重要なのである。

 新しく学んだものを習得したということは、“新しい自分”になったとも言える。つまり、「学習」とは自らを新しくつくり変えていく作業でもある。その新しくなった自分は、自らの関わるコミュニケーションのあり方に変化をもたらす。これこそが、ドラッカーが唱える「イノベーション」である。(kindle ver. No. 1122)

 ここまでの著者の論旨を踏まえれば、学習というものが現在の自分を所与のものとしてそこに何かを付与するということでないことは自明であろう。つまり、学習によって自分自身を更新しつづけ、変り続ける自分と他者との接点についても更新し続けることが必要なのである。そうした自分自身の変化、それに伴う人間関係の変化が、ドラッカーの述べるイノベーションの本質なのである。

 とどのつまり、『マネジメント』とは、「学習」に着目し、いかに「自由な社会」をつくるのかという道を模索した思想書であり、その本質において、同じく「学習」による社会秩序を求めた『論語』と一致している。(kindle ver. No. 1608)

 個人という視点から学習の重要性を説くということは、それを組織の視点から捉えれば、組織における個人の学習をいかに促すかという視点が生じる。こうした、組織における個人の学習を促す作用がマネジメントなのである。

 続いて著者は、現代における情報および知識との関係性についてテーマを移行させている。

 データを情報に転換するには、たゆまぬ「学習」が必要不可欠であるということだ。データに「関連性と目的」を与える、という行為は、実はデータそのものと独立にできることではない。事前に想定した関連性・目的にこだわっていると、有効な意味を生成することはできない。データとの対話のなかで、それにふさわしい関連性・意味を見出し、その対話を通じて自分を新しくしていく。このプロセスに身を任せてこそ、データは「情報」たりうるのだ。(kindle ver. No. 1756)

 データそのものは価値中立的なものであり、私たちにとって意味のあるものではない。そこに関連性と目的を与えようとして、自分たちとデータとの関係性を創り出そうとする営為を加えることによって、私たちにとって意味のある情報になる可能性が生まれる。

 これからの組織にとって本当に大切なことは、情報をたれ流すことではない。いかにしてメディアを機能させ、コミュニケーションを生み出すかが重要である。(kindle ver. No. 1879)

 データを情報へと変容させる努力を行う個々人が集まることで組織は形成される。では、組織としてはそうした情報の蓄積をどのように活用するのか。組織は、情報を発信するだけでは、その受け手にとって必ずしも意味があるものにはならない。そうではなく、情報の受発信が起こるようなメディアを設え、それによって組織内外でのコミュニケーションを発生させるしかけこそが肝要なのである。このように考えると、インターフェイスとしてのインターネットの可能性が見えてくるだろう。

 インターネットで「外の世界の情報」を得る目的は「学習」である。だから、大切なのはいかに多くの情報を得るかでも、いかに多くの情報を流すかでもない。目的と関連性とを明確にしてコミュニケーションを創出することにある。そのような本来の目的を見失ってしまうと、情報に基礎を置く組織をつくることができない。(kindle ver. No. 1945)

 こうしたメディアを考える上で、インターネットの持つ最大の可能性の一つが学習であると著者は喝破する。単に情報を蓄積したり開示することにインターネットの利用を限定するのではなく、それを通じて双方向のコミュニケーションが生じるように、換言すればオープンな学習が生じるようにすることが、情報を重視した組織づくりなのである。むろん、インターフェイスとしてのインターネットの可能性は大きいが、オフラインの領域でも多様なインターフェイスを設えることはできる。

 孔子が主張したことは、社会の様々の場所に君子が出現し、自分の身の回りに秩序を形成することが、社会を秩序化する唯一の道だ、ということである。これはつまり、個々の主体が、社会に参画するなかで、秩序化された社会のサービスを受け取るばかりではなく、自分自身が社会を秩序化するサービスの提供者たるべきだ、という主張である。(中略)
 では、何をすれば社会は秩序化されるのだろうか。それは本書をここまで読まれた読者であれば、もうおわかりであろう。学習回路を開くこと、これである。それが「仁」である。(kindle ver. No. 2468)

 『論語』は君主について扱ったものと誤解されることがあるが、そうではなく君子について扱ったものであると著者は明確に断言する。組織において一人しか存在しない君主に対して、君子はあらゆる場所に複数現れるものである。そして君子とは、仁としての存在であり、学習回路を開いた状態を継続している人のことである。

 孔子は、そういう隠者になることを拒絶する。そして、自分自身に向き合い、自分自身のコミュニケーションを統御する。遠くから友だちがたずねてくれることを楽しみにしつつ。自分自身を場として開き、仁を志す人々と、命がけでつながっていく。それが社会を秩序化するP2P型の倫理である。二一世紀を生き抜くためには、そうやっていくしかない。
 それがドラッカーの教えであり、孔子の教えである。(kindle ver. No. 2482)

 仁としての存在である君子がいたるところにいる理想の状態を創り出すことを考えれば、社会を悪しきものとして忌み嫌い隠者として生きる道が否定されることは自明だろう。隠者とは、閉じた状態の存在だからである。どのような社会や組織で生きている場合であっても、自分自身を開き、常に自己を更新しつづけて、他者との関係性も更新しつづけること。そうすることが苦境を招くこともあるだろうが、懸命に粛々と努力するプロセスじたいをたのしむことで、コミュニケーションがゆたかなものになるのであろう。そうしたプロセスの中でこそ、「朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや」(論語 巻第一 學而第一・一)という僥倖が時に訪れるのではなかろうか。

 本書を読み、『論語』や『マネジメント』を改めて読んでみたくなった。


2014年9月20日土曜日

【第339回】『大君の通貨』(佐藤雅美、文藝春秋、2003年)

 私たちは幕末における開国を、政治的なイシューとして歴史の授業で学ぶことが多いように思う。しかし実質的な鎖国状態から開国するのであるから、それは経済的なイシューでもあったはずだ。本書では、開国時における円とドルとの為替レートを巡る日本側と英国・米国側との交渉に焦点を当てて描かれた歴史小説である。交渉を取り巻く関係者に関する人物の描写が鋭く為され、経済的な要因が政治的な要因へと繋がる考察が鮮やかに加えられている。

 まずは、駐日総領事として滞在していた米国人ハリスについて見てみよう。私たちが歴史の教科書で日米修好通商条約を締結させた人物として習う、あのハリスである。

 日本に到着した時点でのハリスは、前払いの年俸は別にして蓄えといえるものは一銭もなく、それどころか借金を抱えていた。日本では一銭を惜しんで借金を返し、さらには老後のための蓄えを残すというのが、ハリスが日本へやってきた最大の目的だった。(80頁)

 むろんこの記述には、史実を基にした著者の考察が含まれているはずだ。しかし、日米修好通商条約を締結する総領事という政治的な肩書きから後世の私たちが抱く様とはあまりにかけ離れた人間臭い描写である。歴史上の人物といえども、そこには生活があり、また個々人の性格というものもある。こうした当たり前のことを思い出させてくれる描写であると共に、個人的な要因が交渉において重要な要因となることもまた、世の常である。

 日本のコバングとイチブの金銀比価、とりもなおさず、それが日本の金銀比価であるとペリーの一行は勘違いして、金と銀の価値が異常に接近していると、日本へでかけるハリスに教えた。ハリスは日本へくるとすぐ自分の目で確認した。海外の金銀比価は一対十六である。すると同種同量交換という為替レートを認めさせ、手にしたイチブを公定レートでコバングに替えると莫大な儲けを手にすることができる。そのことに横浜の商人たちと同じようにすぐ気づいた。だがそのまま放置していたら、いずれ日本が本格的に開国したとき、日本の金貨、コバングは流出していく。オールコックがなぜそうしなかったかと懸念を抱いたように、そのことにもハリスは気づいた。
 ハリスは敬虔なプロテスタントで高潔な人格の持主だったといわれている。そうであったならこのとき、彼我の金銀比価の違いを日本側に通告し、金貨が流出しないように対策を講じさせなければならなかった。ハリスは熟達の外交官であったともいわれている。熟達ではなくとも、外交官としての職務に忠実であったなら、やはり彼我の金銀比価の違いを通告し、対策を立てさせなければならなかった。そうすることが外交官の義務であり、本務である。だがハリスはそうしなかった。そうしなかったのはひとえに、才覚も労力もいらずに荒稼ぎのできる千載一遇のチャンスを失いたくなかったからである。(82~83頁)

 まず登場人物や固有名詞について説明を補おう。オールコックとは英国から来ていた初代駐日外交代表であり、ハリスより遅れて日本を訪れた。コバングとは小判のことで一両を指し、イチブとは一分銀である。つまり、金と銀の交換比率が幕末期に海外と日本とで乖離しており、その事実を悪用すればぬれ手に粟で儲けられるゴールドラッシュの構造があったと指摘されているのである。先述していた背景を持って来日していたハリスは、自身の生活のために、この構造を幕府側に伝えず、他の商人たちとともに私腹を肥やしていたのである。その後に、幕府側に金銀のレートの国際ギャップを伝えたことを日本史では「“親切にも”彼我の金銀比価の違いと対策を教えてくれた」(101頁)と教わる。なんともやるせない気持ちにさせられる部分である。

 単にハリス一人の問題に留まるのであれば、明確に法律を破る行為でもないこうしたモラル・ハザードは大きな問題とはならない。しかし、経済的な要因は、政治的な要因を規定するものであり、幕末における日本の政治にも大きな影響を及ぼした可能性が高い。その考察について、一時的に英国に戻ったオールコックに対して、英国大蔵省吏員のアーバスナットが語ったこととして著者は分析を加える。

 「物価がけたたましく騰がっていくとき、商人は価格に転嫁する手段を持っているから、つまり物価上昇分を手持ちの商品やこれから仕入れる商品に上乗せできるからよろしい。転嫁する手段をもたない民間人や、収入を一定の俸禄に頼っている支配階級、武士というのだそうですが、彼らはどうか。くる日もくる日も物価が上昇するという生活苦に悩まされつづけるということです。日本人のほとんどはこの物価が上昇している原理を知らないと思うのですが、となると物価上昇で苦しまされている怒りはどこへ向けられるでしょう。開国と貿易、そしてそれを許可した日本政府、および条約締結国に向けられるということです。外国人が見境なく殺されつづけているということも、日本政府の要人がつぎからつぎへと狙われているということも、このことと決して無関係ではないと思います」(247頁)

 マクロ経済学の基本書でも扱うように、インフレにより影響を受けるのは年金をはじめとした固定収入に依存する世帯である。幕末期に援用すれば、その主体は武士である。原因不明のインフレによる生活苦に伴う行き場のないネガティヴなパワーの蓄積が、武士階級による幕府要人の暗殺や攘夷運動へと繋がったのである。

 「あなたの報告によりますと、日本政府は国土のイチブを支配しているにすぎない大君政府とでもいうべき存在で、それとは別に精神的皇帝、ローマ法王のような存在の帝という勢力があり、一方で大君には必ずしも心服しているわけではない大名という勢力があるということです。であれば物価上昇を惹き起こしたと思われている開国と貿易に反感を持つ大名が、帝を担いで大君政府に反抗するということは充分に予測されます。もしそういうことになるとすれば、きっかけをつくったのは、ほかならぬあなた方というわけです」(248頁)

 さらに、幕府への不満は尊皇思想へ、開国と貿易への不満は攘夷運動へと繋がり、両者を結合する形で徳川幕府を崩壊に至らしめた尊王攘夷運動へと導かれたのである。

 「すでに申しあげたように大君政府は歳入のかなりをイチブを発行することにより賄っていました。金価格を引き上げるということは、それを失うということでもあります。物価が暴騰し終わり、物価調整が終れば、イチブを発行していたことによる益金、歳入はそっくりなくなります。ですから大君政府はいま一方で恐ろしいほどの歳入減に悩まされつづけているはずです。この先もしイチブの大名が帝を担いで大君政府に反抗するとしたら、それはきっと成功するに違いありません。なぜなら、そのとき大君政府は財政面で政府を維持していく能力を失ってしまっているからです」(248頁)

 インフレの結果は幕府の歳入面にも深刻な悪影響を及ぼした。どこまでが史実に基づいた著述であるかどうかは寡聞にしてわからないが、英国で実際にこうした分析が為されていたとしたら、同国が薩摩藩と深い関係を築き、倒幕運動を武器や資金面から下支えしたことは理に適っていたと言えよう。

 したがって、著者の締め括りの言葉は、簡潔にして、明瞭である。

 瓦解の原因はいうまでもない。すべてハリスとオールコックのミス・リードにあり、二人が幕府を倒したーー。
 こういっても、決していいすぎではない。(274頁)


2014年9月15日月曜日

【第338回】『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社、2006年)

 橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司といった現代を代表する社会学者を何人も輩出した小室ゼミ。その主催者である著者が語る社会科学の本質は、端的で、鋭い。

 私が社会科学を研究しているのは、気の利いた「意見」を言うためではありません。学問とは本来、それぞれの人間が自分の意見を持つための「材料」、言い換えれば議論の前提となるものを提供するためにあるのです。それが学問の使命です。(15頁)

 社会科学の一つとされる法学。中でも最上位の法と位置づけられる憲法に関して、本書ではその生み出された背景とその影響について丹念に述べられている。まず、憲法とは何を対象とした法律であるのか。

 憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法……これらの能力に対する命令が、憲法に書かれている。(53頁)

 大きな権力を持つ国家を制約するために憲法はあり、そうした権力の暴走を守るための役割を担っている。私自身も、学部の時に学んだ憲法学でそのように習ったものであり、憲法学においても主流の考え方なのであろう。著者は、こうした基礎的な考え方に基づきながら、予定説、契約という二つの重要な論点について述べ、それらを踏まえて日本における天皇教について最後に述べている。

 第一に、予定説について見てみよう。

 神様の選考条件は人間には絶対に分からない。しかし、救われることになっている人であれば、その人は間違いなく予定説を信じている。(中略)
 だから、予定説を信じてプロテスタントになることだけでも、あの絶対にして万能の神様のお導きがあったればこそ。そこに「神の予定」を感じるではありませんか。(130頁)

 予定説とは、ルターと並んで宗教改革の旗手と称されるカルヴァンが唱えた説である。最後の審判において、救われるかどうかは予め定められており、それは誰にも分からない。しかし、救われる必要条件として予定説を信じていることは求められることが導き出される。そうすることで神という存在を身近に感じられるというメリットもあるとしている。

 予定説を信じると、その伝統主義もまた色あせて見える。
 なぜなら、神の絶対を信じているプロテスタントからすれば、「昨日まで、そうやって来たから」という理由では納得できない。彼らにとって何より大事なのは、それが神の御心に沿っているかどうかだけです。だから、神様のためなら社会の仕組みなんてぶち壊して、作り替えてもかまわない。(中略)
 近代の歴史は革命の歴史と言ってもいいわけですが、その革命もまた予定説の産物だった。(152頁)

 偉大なる過去からの延長としての現在を描こうとする伝統主義・保守主義に対して、予定説はその時間軸におけるパラダイムを百八十度変換させる。こうした起こるべき未来という視点に立った予定説の考え方によって、そうではない現在の社会を正統に否定するための革命権が生み出される。近代における市民革命を正当化するロジックが予定説によって導出されたのである。

 予定説を信じる人々が登場したことによって、そうした特権は「人権」へと変貌した。一部の人だけが特権を持つのではなく、誰もが同じ特権を持っている。それを人権と呼ぶようになったわけです。(150頁)

 時間軸から生み出された革命権に加え、空間軸、つまりは最後の審判の時点で神の前において平等に立たされるという観点から特権が否定される。その上で、あまねく人々が平等に持つ人権という概念が生み出された。

 近代民主主義の平等や人権という概念が生まれるのには、人間の価値を徹底的に否定する予定説の教えが必要だったと、この講義の冒頭で述べました。
 近代資本主義の成立もまた同じです。利潤を追求する資本主義が誕生するには、まず金儲けそのものが徹底的に否定される必要があった。その資本否定の思想とは、他でもない、あの予定説なのです。(163頁)

 革命権、人権に加えて、資本主義もまた予定説の産物であると著者はしている。神の前における人間の価値の否定が翻って人間の存在性を重要視する人権を生み出したのと同様に、金儲けを徹底的に否定することで利潤を最大化する資本主義が生み出されたのである。この転回的な発想はやや難解であるため、ウェーバーを基にしながら著者は詳細を説明している。

 近代以前の人間なんて、どこも似たようなものです。ことに当時のヨーロッパでは、キリスト教特有の金銭倫理があるから、必要以上にカネを稼ぐのは悪徳だと思われていた。だから、最低限の労働でいいのです。
 ところが、予定説を信じている人たちは違います。この人たちは、安息日以外の週6日、働きづめに働く。
 というのも、予定説においては、すべての人間の人生はあらかじめ神が定めたもうたこと。ならば、自分の職業もまた神が選んでくださったものに違いないという考えが生まれたのです。(172頁)

 これが天職という考え方に繋がるわけであり、プロテスタントがなぜ勤労に励むのか、そうした結果として逆説的にお金が貯まり資本主義の源泉となったのである。

 第二に、契約について考えてみよう。

 ロックは自然人と自然状態という2つを仮定することによって、「人間というのは、放っておいても、じきに契約を交わして社会を作るようになるのだ」ということを理論的に“証明”したというわけです。(192頁)

 自然を所与の条件として、自然状態においても契約を人々は交わし合うということをロックは導き出した。

 ロックの考えはまさしく現在の憲法や民主主義の思想につながるものです。国家権力はかならず肥大化して暴走する。それをくい止めるのが憲法であり、民主主義なのです。(194頁)

 自然状態ではない国家権力は、自己の持つパワーによって肥大化する傾向を持つ。そうした肥大化を牽制し抑制するのが憲法であり、契約に基づいて人々が平等に結びつく民主主義であると著者はする。

 「神との契約は絶対に守るべきものである」という概念が、聖書を通じて教えられていたからこそ、欧米の人たちは人間同士が結ぶ契約についても、やはり同じように守らなければならないと考えたというわけです。
 また、聖書においてモーゼに与えられた律法などを見て、「契約とは言葉で定義するものだ」という考えを持つようになった。(254頁)

 こうした契約の特徴として、言葉で定義されるべきものであると、モーゼを引き合いに出しながら述べられている。こうした感覚は、キリスト教圏では自然な感情として持てるのであろうが、非キリスト者には実感として分かりづらい。分厚い契約書がアメリカの映画で映し出されると私たちの多くは違和を感じるものだ。しかし、あれは契約とは文字に書かれたものである、という文化においては理解できるものなのだろう。

 結局のところ、民主主義とはひじょうに効率の悪い政治システムです。
 何でも投票と議論で決めなければならないから、なかなか物事がスムーズに動かない。それに比べれば、ボナパルティズムやファシズムでは独裁者1人が何でも決めるのですから、決断が早いし、失敗したときの修正も早く行なえるというものです。
 ですから、政治がうまく動かなくなれば、大衆は英雄を求めます。(295頁)

 契約の概念から生み出される民主主義はなにも薔薇色のものではない。時間とコストが掛かる民主主義のしくみに対して、それが機能不全に陥ると独裁制を私たちは求めてしまうことは歴史が示している通りだ。

 「戦争はイヤだ」「戦争はよくない」という平和主義こそが、独裁者を増長させ、大戦争を引き起こしたのです。逆に「戦争もやむなし」という覚悟があれば、かえって戦争は避けられた。これこそがチャーチルの言いたかったことなのです。(332頁)

 前者の例として、ナチスの膨張主義を厭戦意識の強かったヨーロッパ諸国が認めたために第二次大戦は起きた。後者の例として、著者はキューバ危機を用い、戦争を辞さないケネディの強硬姿勢によって核戦争が避けられたとしている。後者については異論もあろうが、平和主義には独裁者を結果的に許容してしまうというリスクを内包していることに、私たちは留意する必要があるだろう。

 第三に、日本に目を転じてみよう。

 文明開化とは要するに日本経済を資本主義にすることです。資本主義こそが主権国家へのパスポートなのです。
 日本を資本主義国にするというのは、明治政府のもう1つの方針である国防の強化にもつながります。資本主義の工業力がないかぎり、日本は国防力を持つことはできません。そこで官民挙げて、明治の日本は資本主義への道をひた走ることになったというわけです。(380~381頁)

 明治期における日本の資本主義化は、主権国家として欧米列強から独立を勝ち取ることと、そうした独立国家である列強から自国を守るために必要とされていた。そのために、資本主義化が金科玉条とされたのである。では、明治期の日本は何をもって資本主義の旗印にしたのであろうか。

 国家元首たる天皇を、日本人にとって唯一絶対の神にすること。天皇をキリスト教の神と同じようにするというアイデアです。
 すなわち「神の前の平等」ならぬ、「天皇の前の平等」です。現人神である天皇から見れば、すべての日本人は平等である。この観念を普及させることによって、日本人に近代精神を植え付けようと考えた。(386頁)

 キリスト教における神を前にした平等という概念を、天皇を前にした平等に擬したのである。これが著者が天皇教と呼ぶ所以である。

 では、天皇教の教義とは何か。
 その主な柱は2つです。1つは先ほども述べた「天皇は現人神にして、絶対である」という教義です。この教義から「天皇の前の平等」という考えが生まれてくる。
 もう1つの重要な柱は「日本は神国である」という思想です。(中略)
 天皇教で言う「神の国」とは、ユダヤ教における「約束の地」と同じ意味を持つ、重大な概念です。(390頁)

 前者は、先述した天皇の前の平等である。後者では、神との契約における約束の地に擬して神の国を創出されたのである。では、こうした現人神を中心に据えた神国日本という民主主義の装置が、憲法の崩壊とあの戦争を招いたのか。著者は明確に否定し、異なる理由を提示する。

 昭和15年、帝国議会はみずから言論の自由を封殺した。そして、軍部を批判した斎藤隆夫を除名処分にしてしまった。議会は任務を放棄してしまったのです。
 日本の運命を決定したのは、憲法でもなければ、制度でもありません。ドイツと同じように議会が自殺してしまったことこそ、日本にとって致命的なことであったのです。(424頁)

 神の国や現人神といった民主主義を擬製しようとしたシステムがあの戦争を招いたのではなかった。そうしたシステムを基にして、権力の暴走を牽制する力を有していた議会が、自らの権力を自らの手で放棄したことが、民主主義を、憲法を亡きものにしてしまったのである。そうした議会を自死に追い込んだ主体がさらにあると著者は主張する。

 では、よい政治家を作るにはどうしたらいいのか。どうやったら、真のリーダーシップが生まれてくるか。
 その答えは言うまでもありません。「よい政治家を作るのはよい国民だ」ということです。(472頁)

 当時の国会議員をして斎藤隆夫を除名処分にしたのは、世論であると著者は喝破する。戦争を肯定し、軍部の膨張主義を後押ししていたのは世論であり、世論を気にする国会議員は斎藤を除名するのを世論の反映と判断したのである。過去の事例をもとに私たちの特徴を理解することで、同じような状況に陥った時に同じ轍を踏まないように心に留めたい指摘である。


2014年9月14日日曜日

【第337回】『春宵十話』(岡潔、光文社、2006年)

 著者は日本を代表する数学者である。以前読んだ小林秀雄との対談が面白く、著者の本を他にも読んでみようと思った。本書もまた、含蓄があり、読み応えのある興味深い一冊であった。

 数学者である著者が、数学という学問をどのように捉えているのか。私にとっては、甚だ意外な表現をもって説明をされている。

 数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。(3頁)

 情緒や芸術といった、およそ数学が持つ堅いイメージとはかけ離れた言葉で表現されている。さらに、数学と芸術について、著者はその共通点を別の箇所で記している。

 数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。どちらも調和という形で認められるという点で共通しており、そこに働いているのが情緒であるということも同じである。だから両者はふつう考えられている以上によく似ている。(164頁)

 数学と芸術の共通点は調和を具現化するものであるとしている。調和を重んじる学問であるのだから、本来は人を重視するものであると著者は述べた上で、現状の学問に対して警鐘を鳴らす。

 学問にしろ教育にしろ「人」を抜きにして考えているような気がする。実際は人が学問をし、人が教育をしたりされたりするのだから、人を生理学的にみればどんなものか、これがいろいろの学問の中心になるべきではないだろうか。(11頁)

 学問は人を大事にするべきものであり、機械のように自動的に為されるものではない。さらには、動物との違いという観点でも考えるべきであると著者は続ける。

 人は動物だが、単なる動物ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したものといえる。それを、芽なら何でもよい、早く育ちさえすればよいと思って育てているのがいまの教育ではあるまいか。ただ育てるだけなら渋柿の芽になってしまって甘柿の芽の発育はおさえられてしまう。渋柿の芽は甘柿の芽よりずっと早く成育するから、成熟が早くなるということに対してもっと警戒せねばいけない。すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい。これが教育というものの根本原則だと思う。(12頁)

 人を重んじ、調和を為そうとする数学という学問。そうした学問を涵養しようとするためには、促成栽培のように子どもを教育するのではなく、じっくりと成熟するように教育することが大事であると著者は述べる。成熟するということは、人の心を理解するということである。

 人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいっているだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない。(15頁)

 人の心を理解するということは、緻密さが必要であると著者は述べる。物事に対して粗雑に対応するということは、徒に観念的に対応するということに他ならない。緻密に対応するには非常な時間が掛かるわけであり、それが成熟するということなのである。

 全くわからないという状態が続いたこと、そのあとに眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間をおかなければ立派に成熟することはできないのだと思う。だからもうやり方がなくなったからといってやめてはいけないので、意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時はもう自然に問題は解決している。(36~37頁)

 むろん、成熟には時間が掛かる。したがって、辛抱強く、ひたすら、考え続け、行ない続けることである。何度も失敗を繰り返してあきらめそうになっても、もう少しだけ踏ん張って考え、工夫して取り組んでみること。そうした果てしない努力の結果として、時に、取り組んでいる対象のかたちが見えてきて、対象が姿を現す。問題が対象として現出すれば、その解決の方向性も自ずと見えてくる。では、こうした取り組み姿勢をどのように涵養することができるのであろうか。

 動物性の侵入を食いとめようと思えば、情緒をきれいにするのが何よりも大切で、それには他のこころをよくくむように導き、いろんな美しい話を聞かせ、なつかしさその他の情操を養い、正義や羞恥のセンスを育てる必要がある。(82頁)

 人を大事にするためには、情緒を育むことが肝要であり、情操、正義、羞恥のセンスを育むことが必要である。こうした他人のこころを理解するためには、他者の悲しみを理解することが重要であるようだ。

 道義の根本は人の悲しみがわかるということにある。自他の別は数え年で五歳くらいからわかり始めるが、人の感情、特に悲しみの感情は一番わかりにくい。(90頁)

 他者の悲しみを分かるようになるということが、情緒を育むことの重要な点である。人のうれしさやたのしさといったポジティヴな側面ではなく、悲しみという一見してネガティヴな側面への理解に焦点を当てるというのは趣き深い。こうした他者への慮りこそが、理性の本質である。

 何かについて述べた意見を人がよく聞いてくれそうになったり、書物を書いてよく売れたりしたときに、朝ふと目がさめて自分のいっていることに不安を感じる。この不安な気持が理性と呼ばれるものの実体ではないだろうか。ところがその不安、心配、疑惑を取り去ってしかも理性らしい頭の働かせ方をすると観念の遊戯といったものになる。近ごろ、本を出すといったことはかなり流行しているが、それらはかなり前から観念の遊戯になっているのではないかと思えるふしがある。(102頁)

 観念の遊戯へと堕すことないように、理性には慎み深さが求められるのであろう。自戒を込めながら、噛み締めたい珠玉の言葉である。


2014年9月13日土曜日

【第336回】『青の時代』(三島由紀夫、新潮社、1971年)

 光クラブ社長自殺事件を素材にしたと言われる本作品。独特の文体と視点により、三島の世界が展開される。

 誠がカントかぶれの機械的な生活を固執したのは、知的探究というものは、合理的な生活を、つまり知識の合理的な体系の投影のような生活を要請し、それによってわれわれを否応なしに道徳的ならしめると考えたからであったが、彼が認識と道徳との困難な割りふりに手こずって考え出したこの解決法には、後年の彼の無道徳の因になった道徳に関する固定的な考え方が歴然としており、それはおそらくしらずしらずうけていた父親の影響でもあり、その影響の脅かしに対する反応でもあった。(53頁)

 理とは武器である。武器であるのだから、理とは本来、意識的に使うものであるし、自分を守るために、他者を攻撃するための手段である。主人公である誠の場合には、自覚的に理を用いているのではなく、父親の影響で無自覚のままに理を用いているという点が独特なのであろう。無自覚に用いているために、理を用いる対象についての考察が伴わない。そのため、ここで仄めかされているように、道徳律に反する行為をも理によって正当化するという後年における誠の暴走を招いてしまうのであろう。理とは、他者だけではなく、自分をも傷つけるものである。

 この頑固さの喜びは、彼にとって一つの人生経験の胡桃のような頑固な皮殻を、割らずにただ掌にころがしている、そういう喜びにちかかったのだ。(66頁)

 三島ならではの表現のように思える。先に引用した箇所にある、主人公の論理的頑迷性が表出した一例であるが、その独特な表現が興味深い。

 過度の軽蔑はほとんど恐怖とかわりがない。誠はこの五十をすぎた男のなかに、彼自身の幻影を見るのが怖かったのである。(112頁)

 いわゆる心理学における投影と同じような現象ではあろう。自分に起きているものと近しい現象を他者の中に見出す、という心理的現象である。しかし、軽蔑が恐怖心と同じ意味であるというのは、投影よりも空恐ろしい現象のように私には思え、こうした感情こそ人間の持つ恐ろしさを表しているのではないだろうか。

 事実の生起は名状すべからざるものである。或る人にとっては革命であり、或る人にとっては単なる債権の取立てであり、或る人にとっては理不尽な強奪であり、或る人にとっては面白い見せ物であり、或る人にとっては職業的なスポーツの一種であり、また或る人にとっては何物でもないところの、この騒々しい祭典がこうして終った。(161頁)

 単なる借金の取り立てという事象を、立場が異なることで異なる世界観が現出するということを表現している。ただし、私が「借金の取り立て」と解釈するのも、ある一側面を観察者である私が切り取ったものにすぎないのであろう。

 誠はあらゆるものの上に、或る単調なしぶとい具体性、昨日は今日に似、今日は明日に似ているところの具体性、誠が今まで一度として持つことを肯んじなかった具体性の匂いをかぐのであった。街はこの具体性に充満し、ふてぶてしく輝き、それ以外のあらゆるものに抽象の極印を押しつけてふんぞり返っているように思われた。(172頁)

 理に聡い人物、とりわけ若い時分から無自覚に論理的な人間というのは、自身の抽象的な世界解釈に驚く瞬間が訪れるのであろう。良い悪いということではないが、具体性を伴わない理性というものは、諸刃の剣ではないか。主人公を見ていて空恐ろしさを感じざるを得ない。


2014年9月8日月曜日

【第335回】Rita Gunther McGrath, “The end of competitive advantage”

Stability, not change, is the state that is most dangerous in highly dynamic competitive environments. (kindle ver No. 306)

In traditional MBA courses, most of the cases are based on static environment. When we prepare and discuss such cases, we only have to analyze them from the future and static viewpoint. Such old fashioned MBA viewpoint can’t always adjust to the current dynamic competitive environments.

Then what should we do to do with these changing environments? The author suggests that we should throw away industry perspective, and put on arena perspective instead. Cited as below is the comparison between two perspectives.


Indeed, Fuji Film has been adjusting changing business environments successfully through tremendous internal changes by itself.

Yet, ultimately, it was Fuji’s approach -- investing in new advantages and pulling resources from declining ones -- that proved to be more robust in the face of change. It didn’t get it right every time, and sometimes the transitions were painful. But the company didn’t get trapped by its past. (kindle ver No. 264)

In order for company to change continuously by itself, each company, the author says, should provide and deliver trainings.

Smart companies recognize that continuous training and development is a mechanism to avoid having to fire people when competitive conditions shift, and they invest in training even as they pursue deployment. (kindle ver No. 855)

It seems strong supports to me that developing employees and delivering trainings are key factors to make company accomplish continuous change. And also, I, as a professional of learning and development, have to regard my position as a key success factor to make our company sustainable one.


2014年9月7日日曜日

【第334回】『山本七平の日本の歴史<下>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

 『こころ』におけるKと後醍醐天皇。奇想天外とも言える組み合わせをもって、日本人が理想とする典型と見做す著者の考察が、上巻から引き続いて展開される。

 後醍醐帝にとっては一種の「理想」の追究であり、この理想的体制の追究と実現において帝はまことに「則理想去私」であって、そのためには天下の動乱も身の破滅も考慮していない一種の理想主義だといえる。(58頁)

 道に殉じる「則道去私」を体現したKと同じように、「則理想去私」で理想に殉じた後醍醐天皇。中心に道や理想を掲げる静謐とした存在がいることによって、周囲はどのように反応することになるのか。そこには特徴があると著者は指摘する。

 結局、動乱を収拾して権力を手中におさめるという点では帝は全く無能であり、最終的には、日本国のどこにも身を置く場所さえない、という状態を自ら招来するにすぎない。彼が命ずれば命ずるだけ、指示すれば指示するだけ、事態は混乱していく。(59頁)

 理想に突き進む中心の存在が周囲を混乱させ、振り回すことに繋がるのであるから、皮肉なものである。理想を振りかざし、理想に基づいて指示や命令を下せば下すほど、混乱を招くというのはマネジメントの悪夢ではないか。そこには、思想と実情との対比的な関係性が作用していると著者はしている。

 多くの人はその時代時代の正統思想をただ絶対の権威として生きている。しかしなぜその思想を絶対視するのかと問われれば、それを権威とする人は常に答え得ないのであって、答え得ないが故にそれは「思想」でなく「権威」となるわけである。
 そして「権威」となったとき、実は「思想」は死ぬ。(中略)
 同時に「権威」は常に権威の弱みをもつ。というのは権威は讃美と嘆賞の対象としてのみ存続しうる。従って「社会主義」が権威であるためには、社会主義国は失敗を許されないという矛盾を負う。そこでもし失敗したなら、その理由を「主義」以外の他者に求めねばならない。(中略)
 すなわち一つの主義を絶対化し権威とすれば、全日本人を、少数の例外を除いて、ことごとく「賊軍」と規定しなければならず、一方その「権威」を否定すれば、後醍醐帝はただ一人の邪魔者として、自ら遁走した者と規定せざるを得なくなるわけである。(77~78頁)

 思想は権威に繋がるが、権威になった時点で思想は死ぬ運命にある。なぜなら、思想が現実の文脈に置かれた時点で、思想と相反する多数を「賊軍」として排除しようとする。「賊軍」はマジョリティであるために、多数に敗れることが許されない思想を守るために権威者は逃げることになる。したがって、思想は、少数の弱い立場の者のみが保有することができるものであり、その担ぎ手は、果てしない純粋化のためにより先鋭化したマイノリティ集団へと変貌し続ける。安保闘争や全共闘といった、過激なセクトを生み出した典型的な事例を考えれば、日本における思想と権威との相補関係を理解できるだろう。

 そして思考を停止した者にとって、権威の滅亡は同時に自己の心理的滅亡となる。そしてその者には未来は存在してはならないことになる。そしてその場合は、あらゆる災害を「世の終り予兆」として受けとることになる。(82~83頁)

 思想が権威へと変化し、いわば自殺をする運命にあることに加え、そうした一連のプロセスを眺める人々にとって、それは終末論を生み出すことになるという。アメリカの理想であり権威の象徴であったツインタワーにテロリストの操縦する飛行機が突っ込んだ9・11の後に私たちの多くが感じた終末観を想起すれば分かり易いだろう。

 「権威」と「実情」だけで思想のない世界では「権威」と「実情」の分離・分掌が必要なことを、そして両者とも存在理由のあることを、身をもって明確にするには、後醍醐帝が必要だったわけであろう。(98頁)

 権威を実情と結びつけようとすると、権威の周囲に災禍が生じることを歴史的に証明したのが後醍醐天皇による建武の親政であった。したがって、権威の主体である存在と、実情において力を発揮する主体とを切り分けるという、日本独自の権力分離体制を生み出したのもまた、後醍醐天皇と言えるのである。

 建武中興が後代に残した唯一の遺産は「日本的修正主義」により政治的イデオロギーの「白昼夢」を、現実処理政治方式に定着さす方法論だったわけである。(232頁)

 こうした権威と実情とを分離させるための方法論が、日本的修正主義である。借り物の権威を大事にしながら、実情と分離させるために修正を施すことを、私たちは歴史から自然と身につけてきたのである。

 前方に先進国とか先進人民国とかいう自己の未来像を置き、後方には歪んだ歴史という自己の出発点を置く。同時にそれを「善」「悪」と規定する。そして、この二点の間に自己をおく。そのように自己を規定すれば、すべての人間は、後醍醐帝のように行動せざるを得ない。そして、このような形で自己を規定することによって、異常なほど強烈なエネルギーを起させることを全日本人に教え、それを一つの基本的な自己規定として定着させたのが、後醍醐帝の最大の功績であったといえる。そしてこの点では、全日本人が今でも「建武中興」の忠実な子孫である。(281頁)

 善悪を明確に切り分け、 「後方=悪」を省みることなく「前方=善」に向けて猛進する。そのエネルギーが強いために高度経済成長をなした一方で、過去を省みない行動は近隣諸国から非難を浴びる大きな原因となっている。しかし、私たちの多くは、過去を省みないために、なぜ自分たちが非難され続けるのか分からないと感じてしまう。著者は、近隣諸国との政治的な軋轢をも歴史に基づいて予見していたと考えるのは飛躍であろうか。

 『こころ』のKを基にしながら後醍醐天皇とその周囲を描いた本作。最後の締め括りも、『こころ』と『太平記』とを絡めた美しい物言いである。

 特に『太平記』は、以後の各時代が、この書から、どの部分をどのような形で引用したかを調べることによって、その時代が、どの方向に動き出したかを知りうる、最高の指標となった。この指標こそ、同時代が後世に贈った”建武”という「先生の遺書」なのである。(283頁)

2014年9月6日土曜日

【第333回】『山本七平の日本の歴史<上>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

 結局私は、漱石の意向とは関係なく『こころ』という作品を、「天皇制のパイロット・プラント」として見ていたということである。それは、私が日本の歴史について何か書くとすれば、私の位置は『こころ』を「天皇制のパイロット・プラント」として見た位置であり、その位置でしか対象を見得ない、ということである。そのことの当否は私には関係ない。見えた通りに書くだけである。従って『こころ』は私の日本史の序説である。(137頁)

 著者の書籍は何冊か読んできた。興味深く読んではきたが、本書ほどのインパクトはなかった。本書で著者は、日本人や天皇制について存分に論じ尽くす。その序説として、『こころ』を取りあげている。この解説が非常に面白い。読み応えがある一方で、端的な筆致でまとめあげられている。

 すべては竹林の薄明のごとく一見まことに明晰であり、自由に踏みこむことができ、どこにも障害がなく、すべては静かで、疾風も怒濤も砂嵐も烈日もない。すべてが温和である。それでいて、奥は見えず、道はなく、始点も終点もなく、自分の歩いた跡すら不明になる一つの世界、そういう世界、それが日本であり、その日本の空間を象徴するものが漱石の『こころ』であろう、と私は考えていた。(27~28頁)

 日本における世界観とは、始点も終点も見えず、中が何も見えない、空洞のような世界である、と著者は端的に述べる。では、なぜ空洞のような、無重量状態における人間という存在が日本では現出されるのであろうか。

 無重力状態の無菌人間にしてはじめて正常な感覚をもち得るのであり、そしてそれによってすべてを明確に感じうる明晰さは、これもまた竹林の薄命に似ている。ここには騒々しい「思想」の主張もなければ、空の盃の献酬に等しい議論もない。(33頁)

 無重力状態において、何からも制約されない存在であるからこそ、世界を正常に感覚することができる。こうした人間像が日本における理想の姿であると著者はしている。このような考え方であるからこそ、時間に対する感覚も日本独自のものとなる。

 時間が過去から未来へと流れれば、未来は既知であり、未来を見れば、そこに「過去」が見えるのである。従ってこういう時間に生きる日本人が「こうなれば、必ずこうなる」と言っても不思議でない。「私はこうするであろう」もなければ「あなたはこうするであろう」でもない。「必ずこうなる」のである。確かに日本人にはそういえるはずだ。従って日本語の時制が不明確だという考え方は正しいとはいえまい。その人がその時間に生きているなら、それはその人の時間だからである。(41~42頁)

 まず時間軸については、過去から将来へという方向性になる。これは「最後の審判」という将来のある時点を基にして過去のすべての人間の行為を裁くというキリスト教的な世界観と真逆である。さらに、「なる」であって「する」ではないという点から、人間の意志や主体性といった存在の欠落も日本における特徴として著者は指摘している。こうした意志のない人間の行為の積み重ねが過去から将来へと連綿と繋がって行く様子は、『こころ』におけるK・先生・お嬢さんという三者の関係に現れていると著者はする。少し長い引用にはなるが、以下をお読みいただきたい。

 Kは、確かにその「生涯」の一部を、否おそらく全部を「先生」に遺贈した。それが「お嬢さん」であった。だがこの遺贈は、果して、普通の遺贈であったろうか。「先生」が父の遺産を叔父に横領されたように、Kはその「生涯」を「先生」に横領されたのではないであろうか。先生は、横領された遺産を取り戻そうとはせず、むしろ、叔父に横領されるがままにして故郷を去った。同じようにKは、その生涯を「先生」に横領されるがままにして、この世を去ったのではないか。もしそうなら、「先生」は「お嬢さん」と結婚することによって、Kの「生涯という遺産」を一方的に相続したことになる。そして一人の人間の生涯のすべてを遺産として受けとることになるなら、「先生」はKの生涯という資産とその資産の裏づけに等しき負債を否応なく相続したわけである。それを象徴するものがKの墓であり、「先生」にとって「墓」と「奥さん」は、同じようにKから相続した「生涯という遺産」になってしまう。そして確かにそうなった。「先生」はKの遺産をすべて非常に大切にする。奥さんも墓も。だがそのことによって「先生」は、墓の時間すなわち「死者の時間」に立たざるを得ない。だがそうなれば、時間は過去から未来へと流れ、未来を見れば、そこに見えるものは過去になる。そしてそれが先生の生存と生活を規定していく。規定している以上、それは確かに「思想」である。(60~61頁)

 過去から将来へ連綿と続く時間の流れの中で、意志のない主体による行動が結果として立ち現れ続ける。そうした全ての行動が生き残った後世の人間へ引き継がれ、そうした意味において、過去における人物は将来のある時点における人物の中に生き続ける。過去の行為が将来の行為を規定するという意味合いにおいて、そこには意図なき主体における思想であると著者はしている。無責任の体系と言った人物もあるが、こうしたものが日本的な思考様式なのであろう。こうした世界観における理想的な人間像を著者は「純粋人間」と呼ぶ。

 「欲望の無重力状態」における「利害関係の無菌人間」が「道」に対して緊張関係にあるときこれを「純粋人間」と呼び、こういう人間の実在を信じかつ感覚しうる状態にある人びとによって構成される社会が、「天皇制」と呼ばれる社会なのである。(81頁)

 ここで著者は、大胆にも「先生」の友人であるKを天皇のような存在と近しいと喝破する。著者は続けて、その共通点に関する詳説へと移る前に、Kを苦しめた「欲望の無重力状態」の正体に迫る。

 「K」の苦しみは、一に、「恋」と「道」との二者択一であり、この「K」の態度には、「先生」と同じ自明の前提がある。そして両者に共通するこの自明の前提がない限り「精神的向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は、「K」の「恋の行手をふさぐ」「一言」とはなり得ないはずである。もし「K」が「先生」のすべてを見通し、「お嬢さんへの恋は精神的向上と対立しないどころか、君と同様に私にとっても、その恋自体が精神的向上の方向にある。私のお嬢さんへの愛も宗教的信仰に等しく、お嬢さんのことを思えば、君同様に私も、気高い気分が乗り移って来るのだ」と言えば、「先生」は一言もないはずである。しかし、こういう返事が来ることは絶対にないことを、「先生」は知っていた。(98~99頁)

 Kと先生との緊張関係は、『こころ』における重要な関係性の一つであろう。柄谷行人は三角関係という鍵概念で説明を試みた(『マルクスその可能性の中心』(柄谷行人、講談社、1990年))のであるが、著者は日本人が抱く「自明の前提」と言う表現で説明を試みているのである。では「自明の前提」とは何か。

 では一体、なぜ「K」すなわち、「純粋人間」にとって恋は裏切りであることが自明の前提であり、また二人が口にする「共通項=人間」が「お嬢さん」なのであろう。ここに「K」の求愛をはばむ「何か」と「先生」を「狐疑させた何か」ーー前述したように、「先生」は確かに「お嬢さん」がほしい、しかしその「お嬢さん」を手に入れる過程において「何か」を失うことを、極端に恐れているーーその「何か」が、実は同質の対象であること、すなわちこれが別の「共通項」であることにここで気づかざるをえないのである。(100~101頁)

 自明の前提とは、Kにとってのものと「先生」にとってのものとどちらにとっても同質な何かであると著者はしている。したがって、「先生」はそれを疑い、Kの死後は自分自身が保有し、将来における「先生」自身の死へと繋がる何かである。こうして『こころ』を序説として、日本人とは何かという論点へと著者の論理展開は繋がっていく。

 日本人には明らかに「純粋国家」という概念がある。個人のもつ基本的な欲望、いわば飲・食・生存といった最低の基本的欲望の充足は、本人の意志を無視する重力の如くに作用すると考えれば、それは、言うまでもなくその個人の集合体である国家にも、その国家の意志を無視する重力の如くに作用するはずである。しかし、純粋人間が、こういう重力=欲望からの無重力状態にあるならば、純粋国家という概念も、この欲望からの無重力状態にあるはずである。第二に、国際間の利害関係および国内におけるさまざまの利害関係の外で培養された「無菌国家」という概念がこれに加わる。さらにこの状態に、何らかの「道」ーーそれが何と呼ばれてもよいし、その内容は全く不明でもよい。何か、たとえば「肇国の精神」「道義国家」「八紘一宇」「平和国家」「文化国家」といったようなものーーとの緊張関係が加わるという状態、この状態が日本人の「純粋国家」という概念であって、それは常にさまざまな衣装をまとい、よそおいを新たにして登場しても不思議ではない。もちろん、こういう純粋国家は、現実には存在しない。そしてそれが存在しえない理由を、日本人は常に、いわゆる「社会の壁」や「国際問題における社会の壁」に求め、それらを排除すれば、純粋国家が出来上ると思ったり、いや、地上のどこかにすでに純粋国家は実在していると夢想したりして、さまざまな国に純粋国家という概念を投影してみたりする。そのうちに、その投影をまた自国に反射してみるようになる。(103~104頁)

 日本人の理想像は、無重力状態における「純粋人間」であり、その集合体としての日本という国家の理想像は「純粋国家」であると著者はしている。内的に純粋であるということは、外部との接点という観点から「無菌国家」という概念がそこに付け加えられる。これらが結びつくかたちで、理想的な国家形態が創り出され、驚くことにその内容自体には様々に形容される。さらには、そうした理想状態を他国に投影することによってその国家を純粋に憧憬し、自国を蔑視するということにもなる。そうした考え方の帰結は、純粋であるが故に破滅的なエネルギーを生み出すことになる。

 その結果、内外の壁を打ち砕き取り除くため、大規模な軍事行動や小規模な銃撃戦を起す。「純粋機構」の創出する「世論」は、もちろん常にこれに声援を送り、そのためには「策略」も罪悪ではない。しかし「壁」は、前述のように実は、「純粋人間」の逃げ道だから、「壁」をこわすことによって、「壁」のために「純粋」でありえなかったという「生存」のための言いわけを、次々に自らの中でふさいで行く結果になる。その結果は、「K」の如くに自殺するか、一億玉砕という自殺スローガンになるか、「生きていて相すみません」という不思議な「生存の言いわけ」の哲学に生きるか、という状態になる。(104頁)

 他者を殺すか、自分を殺すか。この二つが純粋国家における純粋人間の行動であり、両者を選択できない人間は、どちらも選べずに生き続ける自分を謝るしかないのであろう。息苦しい選択を自分自身で行なう国家というのも、引いた視点で捉えると珍しい国民であろう。こうしたエネルギーの充満する中心に、理想的な純粋人間たる天皇が存在する、とするのが著者の説の中心を為すものである。

 実はこれが「天皇制」のもつエネルギーである。中心に、欲望の無重力状態、人間関係・社会関係における無菌人間を設定して、一種の真空状態を作り出す。これを「去私の人」と言いうるなら、そういって良い。本人は真空であるから、一切の意向はない。いや、たとえあっても、ないと設定される。従って意思決定も決断もない。それが徹底すればするほど、それはますます真空状態を高め、それが周囲に異常なエネルギーを巻き起して台風を発生させ、全日本を包み、東アジアを巻き込み、遠く欧米まで巻き込んで、全世界を台風圏内に入れてしまう。しかし「台風の目」は、静穏であり虚であり、真空であって、ここには何もない。たとえ「目」が非常な早さでどこかへ進行しても、それは、周囲の渦巻が移動させているのであって、「目」が「目」の意向に従って進路を決定しているのではない。(120~121頁)

 究極的な純粋人間、つまりはイデアとしての純粋人間には意志がない。むしろ、そうした中心にいる人物の周囲にいる人間がなんらかの思想を持ち込むことによって、周囲を巻き込んでエネルギーを増幅させていくのである。河合隼雄氏の中空理論を彷彿とさせるような論旨は、納得的である。

 『こころ』を下敷きにして日本人および日本という国家が理想とする純粋性を見出した後に、その源泉を著者は南北朝時代における天皇およびその周辺にあると指摘する。『こころ』に該当する当時のテクストとして著者が指摘しているのが北畠親房による『神皇正統記』である。

 まず自己正当化があり、それに基づく過去の再構成があり、その再構成に基づいてまた自己を「正統化」し、それによってその再構成で同時代の再構成を強行しようという、本稿のはじめでのべた行き方の典型的な一例である。(209頁)

 『神皇正統記』では、南朝の正当性を証明することが主眼とされていた。そのためには、過去を都合の良いように再構成させ、そうして再構成されたものをもとに自己の位置づけを再構成しようとしたのである。多くの歴史書がそうした宿命を持つものであろうが、その典型的な例を『神皇正統記』は提示していると著者はしている。その上で大胆にも、『神皇正統記』と『こころ』とを用いて、後醍醐天皇とKとを近しい位置づけに擬せられた存在であると主張する。

 『神皇正統記』と『こころ』を読み比べていくと、後醍醐天皇と「友人K」とは余り似すぎていて、時には、漱石が後醍醐天皇をモデルにして「友人K」を創作したのではないかという錯覚を抱くほどである。もちろんこれは錯覚だが、こういう錯覚を抱く結果となるのは、この両者の間に全く同じような考え方・生き方をした日本人が無数にいた、そして今もいる、ということの証拠であろう。これは日本教が生み出した、時代と環境と社会的地位を超越した一つのタイプに相違ない。
 後醍醐天皇も「友人K」も共に近づきがたい英才であり、刻苦精励、潔癖で、自己に対して峻厳で、倫理的であり、周囲の人間を感嘆させずにおかない資質がある。(213頁)

 純粋人間として描き出される後醍醐天皇とK。その特徴が共通点として列挙されると首肯せざるを得ない。さらには、後醍醐天皇が生きた時代とKが生きた時代との間に生きていた日本人の中にも、そうした特徴を有していた典型的な純粋人間がいたはずである、と著者はしている。その上で、両作品の近似性について以下のように結論づける。

 二人に共通する点を定義すれば、それは「自己規定の去私の人」という一言につきる。しかし前に述べた通り「自己規定の去私」は存在しえない。存在しえないものは消える。Kは自殺する。後醍醐天皇は生涯そのものが前期天皇制の自殺行為であるといえる。ただし二人とも墓は立つ。そしてこの墓に毎月花を捧げる人がいるように、そしてその人が、「無意識の去私の人」と共にいるように、前期天皇制を自殺へと追い込んでいった一人物が、後醍醐天皇のため壮大な寺を建てて供養するーーその人の名は足利尊氏である。そして、『こころ』の「私」にあたる人物が、その経過を印、その「遺書」を後代に送った。それが『神皇正統記』であり、「私」は親房である。(214~215頁)

『山本七平の日本の歴史<下>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

2014年9月1日月曜日

【第332回】『勝負哲学』(岡田武史・羽生善治、サンマーク出版、2011年)

 サッカーと将棋。全く異なる領域で活躍してきたプロフェッショナルであっても、共通するものはあるものだ。両者ともに、異なる人物との対談を読んだことがあり、対談を通じて両者の暗黙知を形式知にする名手であることを知悉していた。そのため、期待して本書を読みはじめたところ、その期待は裏切られることがなかった。

 まず、勝負勘と呼ばれる、最も言葉にしづらいであろう概念の一つについて見てみよう。

岡田 答えを模索しながら思考やイメージをどんどん突き詰めていくうちにロジックが絞り込まれ、理窟がとんがってくる。ひらめきはその果てにふっと姿を見せるものなんです。(以下略)
羽生 同感ですね。(中略)直観はヤマカンとは異なります。もっと経験的なもので、監督がおっしゃるように、とても構築的なものです。数多くの選択肢の中から適当に選んでいるのではなく、いままでに経験したいろいろなことや積み上げてきたさまざまなものが選択するときのものさしになっています。(22~23頁)

 勝負を左右するひらめきや直感は、ともすると偶然に生まれてくるものと捉えられてしまいがちだ。しかし、両者ともにそれを否定し、経験や論理による積み上げの結果として訪れるものであると結論づけている。この結論は納得的であるとともに、私たち普通の人間にとって励みとなる言葉であろう。

 次に、勝負を左右する要素に関する捉え方について。

岡田 流れを変えるきっかけは、往々にして小さなことですね。マスコミや評論家は勝った負けたの原因をシステムとか戦術論に求めたがるけど、実際には、勝負を分ける要因の八割方はもっと小さなことなんですよ。(中略)技術上のミスや積極的なミス、これはもう仕方ありません。われわれもある程度は織り込みずみで臨みます。怖いのは、不用意なミスというか、消極性や怠惰から生まれる凡ミスです。(中略)そういうミスは、それがたった一度の、じつにささいなものであっても、全体の流れをガラリと変える大きな傷になってしまうことが多々あるんです。(45~46頁)

 マスコミや評論家を対象としている岡田氏の発言は、おそらくは私たち一般人も含まれていると読むべきであろう。実際に勝負をしていない者で、一家言持っている人間は、外から見えるシステムや戦術論をもとに批評してしまう。これは何もスポーツに限ったことではなく、企業組織でも同じであろう。しかし、岡田氏が指摘する個人の小さなミスが流れを変えるという指摘は非常に重たい。私たちが日々起こしている小さなミスが、巡り巡って自分のいる組織の停滞を招いているかもしれないのである。

 ではこうした勝負勘を持った人物は、そうでない人物と比較して何が異なるのであろうか。

岡田 ひとつの部分だけに意識が集中するんじゃなくて、全体に意識を行き渡らせる広い集中力に長けている。それがいい選手の重要な条件のひとつであることはジャンルを問わないことなんでしょうね。(76頁)

 最近では、選択と集中を体現すべく、なにか一つに注力している潔い姿がカッコいいものとみなされる傾向がある。むろん、選択と集中が重要である文脈もあるだろう。しかし、岡田氏が述べるように、周囲を見ながら、鳥瞰図を描くように、大局的な観点から、自分が行なっている領域を突き詰めることが重要だ。プロフェッショナリティとは、他者との信頼関係や全体との整合性が前提条件となるからである。そうしたことを「広い集中力」という独特な言葉遣いで巧みに表現している両者の言語化能力には驚くばかりだ。

 次に、勝負勘を養うために何を行なうべきかについて見てみよう。

羽生 安全策は相対的に自分の力を漸減させてしまうんです。それがイヤなら、積極的なリスクテイクをしなくてはならない。だから私は、経験値の範囲内からはみ出すよう、あえて意図的に強めにアクセルを踏むことを心がけているつもりです。(85~86頁)

 経験を積めば、どこに危険があるかが分かるようになる。そうした経験値は、ミスを減らすというポジティヴな作用をもたらす一方で、リスクを取らないという副作用をももたらす。羽生氏は、そうした経験値の持つ副作用を意識した上で、あえてリスクテイクするようにしているという。リスクを取ることによって、中長期的な観点での自分の力を高めようとしているのである。では、こうしたリスクテイクするべきかどうかをどのように測れば良いのであろうか。

羽生 結果的にうまくいったか、いかなかったかではなく、そのリスクをとったことに自分自身が納得しているか、していないかをものさしにするようにしているんです。後悔をするなら、リスクをとらなかった後悔より、とったことの後悔のほうがはるかにましだと思うからです。そう考えることで、リスクテイクするときの恐怖感もかなり減らせるような気がします。(91頁)

 リスクを取るか否かの選択において結果を指標にしないということは、非常に興味深い。結果を指標にすると、リスクを取らずに安全策で対応するというジリ貧の戦略が合理的になってしまうのである。結果ではなく、自分自身の納得を指標にするというところがミソであり、取らなかったことの後悔を念頭に置くことで、リスクテイクを納得させるという作用があるのではないか。

 最後に、こうした勝負勘をどのように培うのかについて見てみよう。傍から見ると天才のように思える偉業を成し遂げている羽生氏は、頑に自分は天才ではなく普通の人間であると断言し、どのように勝負勘を養ってきたかを以下のように述べる。

羽生 自分の中に「天才」を感じたことは一度もありません。私は必要な能力や技術を反復によって身につけていく人間で、いまの自分をつくったのはくり返しと積み重ねだと思っています。ひとつひとつを自分で考えながら、試行錯誤を重ねて、時間をかけて自分のものにしてきたというのが実感です。ひらめきによって一足飛びにジャンプするということはできません。段階を一個一個踏まないと高いところへは行けないタイプなんです。(204頁)

 ここでの繰り返しや積み重ねといった言葉の意味合いを、リニアな成長と誤読してはいけない。リニアな成長とは、過去の成功体験の積み上げに過ぎず、それでは中長期的に強みを発揮できないというのは前述した通りだ。したがって、ここでの経験とは、リスクテイクを経ての失敗や跳躍をも含めた経験を指し、そうした自分自身での試行錯誤を愚直に繰り返したものと読むべきであろう。努力を繰り返せることが天才だと定義するのであれば、両氏はそうした意味での「天才」と言えるのかもしれない。