2014年12月27日土曜日

【第394回】『三国志(三)』(吉川英治、講談社、1989年)

 幾多の失敗や苦難を迎える劉備。そうした苦境において、リーダーはいかに構え、対応するのか。リーダーシップの教科書としても読める作品である。特に印象に残ったのは以下の二点である。

「ああ過った。ーー智者でさえ智に誇れば智に溺れるというものを、図にのった張飛ごときものの才策をうかと用いて」
 玄徳は臍を噛んだーー痛烈にいま悔いを眉ににじませているーーが彼はすぐその非を知った。
「わしは将だ。彼は部下。将器たるわしの不才が招いた過ちだ」(371~372頁)

 大成功を収めた後に大失敗を犯す張飛。温厚な劉備ですら怒りを抑えられない状況において、張飛へのいら立ちを最初は示している。しかし、その直後において、張飛の献策を受け容れた自分自身の至らなさへと意識を向け、深く反省を行なっている。戦の失敗は生き死にに関わるものであり、戦場での失敗を自分の責めに帰すことは、将兵からの信頼を失うことに繋がるだろう。そうした重たい責任を自分自身で受け容れられる度量の深さには、恐れ入るばかりである。

 玄徳の特長はその生真面目な態度にある。彼の言葉は至極平凡で、滔々の弁でもなく、なんらの機智もないが、ただけれんや駈引きがない。醇朴と真面目だけである。内心はともかく、人にはどうしてもそう見える。(444頁)

 まっすぐに、まじめに生きること。そうした心の有り様が、周囲に対する誠実な行動となって現れるのであろう。その結果として、他者から信頼を得られることが多くなるのではないだろうか。そうであるからこそ、先述したような失敗に対する責任の取り方に対して、周囲は、頼りない存在と捉えるのではなく、信頼できる存在として好もしく捉えるのであろう。


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