2014年12月8日月曜日

【第386回】『国盗り物語(三)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)

 物語の主人公は、斎藤道三からその婿である織田信長へと移る。信長を主題にした歴史小説は多い。戦国という乱世において、旧来の価値観を一変させ、領国の政治や対外的な戦争を併せて遂行するリーダー。こうしたイメージは本作を読んでも変らない。しかし、そうしたイメージから飛躍しながら踏襲する、以下の二点の描写が印象的であった。

 蝮は、自分と会った四月二十日を選び、おのれの命日にしたかったのではあるまいか。いやそうにちがいない。四月二十日を命日にしておけば道三のあとを弔うべき信長にとって二重に意味のある祥月命日になるのであった。されば信長は生涯道三を忘れぬであろう。
(あの男は、そこまでおれを思っている)
 若い信長にとって、この発見は堪えられぬほどの感傷をそそった。(245

 信長にはウェットなイメージはなかなかない。ドライな人事を行ない、感情に流されずに大局で判断する。しかし、そうした信長であっても、著者は、二人の人物のみから理解されていて、彼らに対して感情的な親近感を抱かせている。一人は実父である織田信忠であり、もう一人がこの義父である斎藤道三である。道三が勝ち目のない死に戦に赴かざるを得ない状況に陥った時に、その戦の日付を、信長と道三とが初めて面会した日にしたのではないか、と信長に感じさせている。信長の伝記において、数少ない感動できるシーンの一つである。

 信長には、稀有な性格がある。人間を機能としてしか見ないことだ。(中略)
 その男は何が出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜擢し、ときには除外し、ひどいばあいは追放したり殺したりした。すさまじい人事である。(520~521頁)

 こちらは、信長の典型的なイメージに基づいた特性を簡潔にして明瞭に表現している箇所だ。人間を人間性として認識するのではなく、何を為すかという機能として認識する。そうであるからこそ、諸機能の統合体としての人間にどのようなことをしても罪悪感を感じなかったのであろう。自分にとって、また自分が描く戦略にとって、必要な機能を選択し、それを適材適所に配置する、という発想であれば、何でも大胆にすることができよう。これが信長の圧倒的な強みであり、さらには絶対的なリスクを内包していたのであろう。そうであるからこそ、そうした信長の発想を理解する人物を、信長は大事にしたのではないか。


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