2014年10月26日日曜日

【第364回】『豊臣秀長(下)』(堺屋太一、文藝春秋、1993年)

 人間、どの道を選ぶにしろ大いなる成功を収めるには運がよくなければならない。だが、好運を得るためには努力と実力と忍耐が不可欠だ。成功者の好運は、運を逃さぬ絶え間ない努力と、運に乗って飛躍できるだけの実力と、運が来るまでの苦難に耐える忍耐との成果なのだ。
 世に、努力もし、実力もあり、忍耐もしたのに、ついぞ運に恵まれずに人生を終えた不幸な人も数多い。しかし、努力と実力と忍耐を欠いて好運だけで大成功した人物は見当たらない。
 日本史上で最も激越な競争社会が成立していた十六世紀の戦国時代に大成した英傑たちの生涯を見る時、つくづく思うのはこのことである。(9頁)

 戦国時代という競争のルールや環境の変化が激しい時代において何が求められたか。著者が挙げる三つの点のうち、忍耐という言葉が最も重たく私には響いてくる。努力や実力があったとしても、苦境の中で数年間を過ごすことは存在する。そうした状況の中で、いかにして忍び難きを忍び、耐え難きを耐えられるか。戦国時代と同じかそれ以上に変化の激しい現代において、重視したい観点である。

 戦国時代という激越な時代を生き抜き、天下を統一した豊臣秀吉と秀長の兄弟。秀長の補佐役としてのあり方もまた、いかに忍耐するかという具体策を考える上で非常に参考になる。以下に五つのポイントを取りあげて、考察を加えてみたい。

 兄・秀吉は、誰もが嫌うこの損な役に、実弟の小一郎を選んだ。弟なるが故にである。
 <小一郎殿はいつも損なお役じゃわい……>
 家中の中には、そんな声もあったが、それには、
 <お陰でわしらは助かった……>
 という響きもこもっていた。そしてそれに小一郎は満足した。自分が兄の補佐役として大いに役立っていると信じることができたからだ。(30頁)

 第一に他者が嫌がる仕事を受け容れる覚悟が挙げられる。むろん、こうした困難な仕事を任せられるだけの実力と、それを他者に評価されるだけの努力の積み重ねが前提として求められることは言うまでもないだろう。他者が嫌がる仕事の中には、当時の時代背景を考えれば、生き死にに関わることが多い。そうした仕事を喜んで受け容れるというのは、現代の私たちの想像を絶する覚悟である。

 たとえ、「兄に劣る弟」と冷笑されても愚直を装って耐えねばならない。補佐役たる者は、時としてあほうになり切る才覚もまた、必要なのだ。(127頁)

 第二の点は、自分自身を不当に低く見られることを受け容れる忍耐である。自分の努力や実力のお陰でマネジメントが機能しているという状況においても、あえて自分自身をトップより低いレベルであるという評判を甘んじて受け容れること。頭では理解しても、身体で受け容れづらい、他者から不当に甘んじて見られることに対する忍耐が、補佐役には求められるのである。

 主君の兄が決定したことに異論をさしはさむのは、この際の得策ではない。兄の予測がはずれ、自分の忠告が当ったとしても、兄の権威を傷つけるだけで得る所がない。補佐役たるもの、主役と才知や人気を競うようなことをしてはならないのである。(165~166頁)
 こうなると、小一郎の口の出す幕ではない。相談の形でもちかけられれば苦言もいとわぬが、主将の兄が決断したことには一切批判しないのが補佐役の節度というものだ。(219頁)

 二箇所から引用して考察したい第三のポイントは、トップを引き立てることである。トップの意向や決定事項を現場に落とすことが補佐役の役割なのである。だからといって、トップの主張全てに単純に従うわけではないことに留意が必要であろう。著者が述べるように、トップから相談を受ける際には、自分自身の意見を述べることも必要であり、それは的を射たものでなければならない。そうでなければ、トップが「裸の王様」となってしまい、組織は弱体化してしまうだろう。

 「敵が退きまするぞ。今こそ追撃を……」
 先陣で戦っていた黒田官兵衛が、不自由な足を引きずって駆け戻って来てそう叫んだ。
 「いや、官兵衛殿。そなた参られよ」
 小一郎はにっこりとして首を振った。
 「何を申される、秀長様。今こそ一世一代のお手柄の秋でござるぞ」
 黒田官兵衛は、目をむいて怒鳴り返した。
 「だから、そなた参られよ。存分に手柄になされい」
 小一郎はそういったあとで、心の中で呟いた。
 「俺は秀吉の実の弟。第一の補佐役じゃもん。今、戦さ手柄など立てては目立ち過ぎるわ」(259頁)

 第四は、トップだけではなく部下をも引き立てることである。著者は、明智光秀との天王山での戦いが勝勢に移った直後の絶好機で、秀長をして黒田官兵衛にこの発言を言わしめたとしている。秀長が歴史上の書物でほとんど描かれないのは、彼自身が取り得たであろう戦功を兄や部下に与えていたからではないだろうか。名誉欲は、多寡の差はあれども、人間であれば持っているものであろう。この自分の本性をいかに抑制することができるか、が補佐役の有り様を左右する。

 何よりもこの人が得意としたのは、兵站と諸将の調整だ。小一郎は、将にも兵にも安心感を与える術を心得ていたのである。(326頁)

 第五は、調整能力とプロジェクトマネジメントである。苦境の中においても、組織の人員が安心感と希望を持ち続けられるように、いかにマネジメントを行うか。トップは威勢のいいことを言う役割であるが、補佐役はそれを現実に落とし込むことが求められるのである。



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