2014年10月5日日曜日

【第352回】『私本太平記(七)』(吉川英治、講談社、1990年)

 尊氏が九州から捲土重来を図り、刻一刻と義貞軍との衝突が近づく気配のする第七巻。最終・第八巻の湊川へと繋がる本作では、正成の有り様が印象的だ。

 もしこの重い業をのがれたいのであったら、そもそもは、元弘の初め、笠置からの天皇のお招きをお断りすればよかったのである。しかるにすすんで勅を畏んだ。そのときすでに平和の民、南河内の一族有縁の女子供にいたるまでの運命はこの正成が業の輪廻に巻きこんでいたものだった。長としてのその原罪を、彼はみずからの性格のためにごまかしきれない。
 しかし、拒んだら、のがれえたか。平和の民があのまま平和でいられたろうか。
 むずかしい。考えられない。
 でも正成の責任はそれで消えぬ、この正成の……と笠置の過去をかえりみたとき、彼ははっと、いまの衷心を訴えうるただひとりの御一人胸のうちに見つけていた。(42頁)

 どれほど戦いの中に生きようとも、心の底で平和を願い、平和のために戦う正成の想いが伝わってくるようだ。その想いの強さが、天皇への諫諍まで正成を突き動かす。

 もし左中将どのに、よく人心収攬のご器量があるものなれば、さきに鎌倉を陥し、また勅宣の御戦をひきいて治平の帥にあたりながら、今日まで天下の諸族を、いまだにこんな支離滅裂にはしておきますまい。ーーひるがえって尊氏をみれば、賊名をうけながらも、またいくたび窮地に立ち、いくたび破れながらも、なお彼の筑紫落ちには、あまたな武士が、付き従うなどーー尊氏が赴くところ、何せい、衆和と士気の高さがうかがわれまする(54頁)

 後醍醐への諫諍の中で、味方である義貞を否定し、尊氏を称揚する。称揚するどころか、尊氏を味方にし、義貞を討つのも辞さず、とまで断言しているのであるから、凄まじい。日頃言葉少ない人物の直言であるために、その効力も高いのであろうが、この言は入れられず、半ば蟄居に近い扱いを受ける。それも、後醍醐による判断ではなく、その取り巻きである公卿による命であるのだから、正成の苦衷も想像できよう。

 「ゆたかな、慈悲のおん相にはちがいない。けれど阿修羅もおよばぬすさまじい剣気を眸に持っておいでられる。したがその猛も貪婪な五欲には組み合わず、唇と歯には知恵をかみわけ、鼻、ひたいに女性のような柔和と小心と、迷いのふかい凡相をさえお持ちであらっしゃる。卑賤の親とは慕われようが、決して貴人の相とは申されぬ」
 「……」
 「いやいや、言い違えた。貴相ではあるが、その貴相は、福禄のそれではなく、堂上におごる人のそれともちがう。どうみても我利我欲の強さには欠けている。では私の自我心はないのか。それもちがう。おそろしい大自我、いわば大私といったような御自分の自信はなんぴとよりもお強く巌みたいにその貌心の奥に深く秘めてはおられる」(274~275頁)

 仮面作り師による正成評である。自然な強さ、自然な優しさ。そうした自然な感情と意志が、その相貌に表れているのであろう。

 「さむらいの子、そうなくてはならぬところ、健気さはうれしいぞ。したが、正行よ。死ぬだけがもののふの道ではない。いや、もののふが一番に大事とせねばならぬのは、二つとない生命だ。いかなる道を世に志そうと、いのちを持たで出来ようか。されば、さむらいの、もっとも恥は犬死ということだ。つぎには、死に下手というものか。とまれ人と生れたからには、享けた一命をその人がどう生涯につかいきるか、それでその人の値うちもきまる」(328頁)

 死を覚悟して湊川へと付いて行こうとする長子・正行を思い留めさせようと諄々と説諭している情景である。死を意識するからこそ、生を大事にする。否、生を重んじるからこそ、死をも覚悟することができる。つまり、死の覚悟を決めるということは、生きることの喜びや素晴らしさを知悉し体験している人物だと正成は言いたいのであろう。そうであるからこそ、生を充分に経験していない正行の死地への追従を頑に断るのである。

 正成は人知れずもう死をきめていたのである。
 いかに死すべきか
 死の価値だけが彼には大事なのであって、感情上のこと、生還のこと、すべてさらさら胸のすみにもない。で自然、義貞へも、心の小細工などは持つ要は何もなかったのだ。ーーただ、ありようありのまま、義貞とあしたの戦略をよくはなしあっておこう。そしてそれには、主将の義貞にいささかなわだかまりがあってもいけないと考え、そのもつれを解こうと努めるものにすぎないのだった。(347頁)

 死を意識することによって、他者にも寛容になり、一喜一憂しなくなる。正成の場合、死地へ赴くことによって、より自然になっているのであろう。

 なぜだろう、彼にもわからない。じいんと胸が傷んでいた。敵にまわしたくない敵、しかも七生までの敵ぞと自分へ宣言して会下山に立った敵。にもかかわらず、彼はなお、正成が憎めぬのみか、立派だ!とさえ思うのだった。(366~367頁)

 最後に、尊氏による正成への心情を引用した。正成への尊崇の気持ちに基づき、幾度となく本人および使者からも伝えながらもそれを全て否定される。それでも、正成への尊敬と崇拝の気持ちが消えない。それだけの強い気持ちを天下人に持たせる存在が、楠木正成という人物なのだろう。




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