2014年7月26日土曜日

【第311回】『マルクスその可能性の中心』(柄谷行人、講談社、1990年)

 ここ半年の間に漱石を何冊か読んだことと、著者の『探究Ⅰ』(『探究Ⅰ』(柄谷行人、講談社、1992年))『探究Ⅱ』(『探究Ⅱ』(柄谷行人、講談社、1989年))を読んだことから、本書をもう一度読み直そうと思った。点と点が結びついて線分になり、線分と線分とが交差して平面を形成するように空間が拡がる感覚は、読書の醍醐味の一つである。

 ひとりの思想家について論じるということは、その作品について論じることである。これは自明の事柄のようにみえるが、必ずしもそうではない。たとえばマルクスを知るには『資本論』を熟読すればよい。しかし、ひとは、史的唯物論とか弁証法的唯物論といった外在的なイデオロギーを通して、ただそれを確認するために『資本論』を読む。それでは読んだことにはならない。“作品”の外にどんな哲学も作者の意図も前提しないで読むこと、それが私が作品を読むということの意味である。(9頁)

 ロラン・バルトやジャック・デリダといった人々が提唱したテクスト論に拠って論じることを著者は冒頭で述べる。経営学における先行研究では、著者の過去の著作を念頭におきながら、論文を位置づける作業が求められる。そうした一連の作業に慣れているからか、改めてテクスト論を考えると興味深かった。学問領域によって作品や論文の読み方は異なる、という極めて自然なことに自明であることが大事であろう。

 以下からは、本書の中でもとりわけ漱石について論じている章を中心に、考察を進めていくこととしたい。

 興味深いのは、近代小説がイギリスの十八世紀において新聞の発達とともに生れてきたという事実である。新聞の「三面記事」と小説は双生児なのだ。それらは、新しい読者すなわち市民の欲求とイデオロギーを充たすものとして生れてきた。(188頁)

 近代小説の<誕生>は、その主たる読者層を貴族や王族を市民階級へと変えることと時を同じくしたと著者はしている。それは西洋近代における動きだけではなく、その後に近代化を成し遂げた日本でも同じ動きが生じた。

 むろん漱石は、作品において、「中間階級」としての人間の葛藤ーー自然と規範にひきさかれたーーをあたうかぎり描いている。彼は一方で「自然」の衝動を肯定せねばならず、他方でその結果としての「罪」をまぬかれないという背反をくりかえし書いたのである。(189頁)

 漱石が新聞小説を盛んに書いたことは有名だ。勃興する市民階級が目にする新聞というメディアにおいて、近代小説の主たる担い手の一人である漱石の小説が掲載される。書き手と読み手との相互交渉の結果として、日本における近代小説は<誕生>したのである。

 では、近代小説の書き手としての漱石の意識はどのようなものであったのであろうか。

 漱石は二つの「文学」を挙げているようにみえる。一つは漢文学あるいは俳句であり、これは彼にとって自然で親和的なものだ。もう一つは英文学であって、これは彼にとって居心地の悪い何かであり、彼を「何となく欺く」ものである。(中略)漱石の言葉でいえば、前者は「父母未生以前本来の面目」に触れる何かであり、後者は、いわば父母(家族)という制度に似た何かである。(204頁)

 文学に対する漱石の意識は、二つの相反するものから成り立っていたと著者はする。一つは生まれる前から育まれている日本文学であり、もう一つはア・ポステリオリに自覚的に学ばれた西洋文学である。

 親子の“自然さ”は、始源的なものでなく、派生的なイデオロギーである。それは根源的にとりかえ可能なものであり、そのためにこそ、未開社会へ行けば行くほど、より厳格な親族の「制度」が存在するのだ。動物の世界では、とりかえがとりかえとしてありえない。
 漱石の生涯の「不安」は、このような「とりかえ」の根源性を察知せざるをえなかったところからくるといってよい。彼には、アイデンティティはありえない。なぜなら、アイデンティティとは、制度の派生物を“自然”として受けとることにほかならないからである。(中略)
 漱石の「不安」は、いうまでもなくそのような “自然” の欠如にある。しかし、彼の本領は、そのような“自然”に慣れたのではなく、そのようなものがもともと存在しないのではないかという疑いにある。(207頁)

 二つの相反する意識のどちらにも、漱石は自分自身をアイデンティファイすることができなかった。西洋文学という制度を受け容れられなかっただけではなく、日本文学という制度も受け容れられなかった。どちらもアイデンティティでないということは、「とりかえ」る主体がないということになる。アイデンティティに対する不安感は、漱石の小説のテーマにも表れる。

 三角関係はけっして特殊なものではなく、あらゆる「愛」ーーあるいはあらゆる「欲望」は三角関係においてある。むしろ、「関係」そのものが三角関係として生ずるのだといってもよい。したがって、漱石が三角関係の問題に固執したことに、とくに実際の経験を想定する必要はない。重要なのは、漱石が三角関係をそのようにとらえたということである。そのような三角「関係」において、誰に責任があるのか。誰にもない。「人間」にはない。フロイトがいったように、「人間」こそそのような関係において形成されるのだからである。漱石の小説の主人公たちはあらかじめ予想だにしなかった自分を突然のようにみいだしている。関係が彼らを形成し、彼らを強制するのだ。だが、この関係を関係たらしめているのは、結合の恣意性と同時に、その排他性である。一人の男が勝利すれば、他の男は消えねばならない。言語の体系において、この排他性は徹底している。しかし、この選別と排除の原則こそ制度(体系)に固有のものなのである。いいかえれば、制度そのものがつねに三角関係を形成する。(209~210頁)

 拠り所となる存在がない不安感は、関係性をもとにして存在感を得ようとする作品に表れる。その関係性を、漱石は三角関係として描き出している。漱石の小説の場合、三角関係の結節点となるのは女性であるが、その女性を悪意のある存在として漱石は描かない。三角関係という関係性の中に不安定に揺れ動くアイデンティティの萌芽を描き出したかったのであろう。

 漱石が拒絶するのは、西欧の自己同一性(アイデンティティ)である。彼の考えでは、そこには「とりかえ」可能な、組みかえ可能な構造がある。だが、たまたま選びとられた一つの構造が「普遍的なもの」とみなされたとき、歴史は必然的で線的なものにならざるをえない。漱石は西洋文学に対して日本の文学を立て、その差異と相対性を主張しているのではない。彼にとっては、日本文学のアイデンティティもまた疑わしい。彼には、西欧であれ日本であれ、まるで確かな決闘としてあるかのようにみえるものを認めることができなかった。いいかえれば、自然で客観的にみえるそのような「歴史主義」的思考に、彼は「制度」をかぎとったのである。したがって、彼は文学史を線的にみることを拒む。それは、組みかえ可能なものとしてみられなければならない。(225頁)

 西洋文学にも、日本文学にも漱石は自分自身のアイデンティティを見出すことはなかった。西洋文学と日本文学と漱石。そこには、彼が小説の中で描いた三角関係が表れているようだ。どちらにも制度に基づく自然さを感じられず、不安の中で漱石は近代小説を書き続けたのである。


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