2014年1月25日土曜日

【第244回】『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ら、ダイヤモンド社、1984年)

 日本軍の失敗を組織論的に研究すること。本書はその点に焦点を当てて書かれた優れた組織論の書物である。

 本来的に、第一線からの積み重ねの反復を通じて個々の戦闘の経験が戦略・戦術の策定に帰納的に反映されるシステムが生まれていれば、環境変化への果敢な対応策が遂行されるはずであった。しかしながら、第一線からの作戦変更はほとんど拒否されたし、したがって第一線からのフィードバックは存在しなかった。(Kindle No. 1457)

 三つめのケースであるガダルカナル作戦を執筆した経営学の大家・野中郁次郎は、現場からの情報の吸い上げが起きなかったことが問題であったとしている。刻々と現場の状況に合わせて現場のミドルが柔軟に対応し、そこで得られた現場における暗黙知を横や上へとミドルが形式知として展開する。そこにおけるミドルマネジャーの像は、野中が後年に著す『知識創造企業』を彷彿とさせる。残念ながら、当時の日本軍においては現場対応の卓越性がある一方で、野中の言葉を借りればミドル・アップダウンというようなダイナミックな情報の共有がなされなかった。ために、それが「失敗の本質」となった。ここで野中が指摘している点をさらに抽象化すれば以下のようになる。

 日本軍は、初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当り的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行なわれるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。しかしながら、すでに指摘したような参謀本部作戦部における情報軽視や兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるをえない。(Kindle No. 2971)

 環境変化の激しい状況において、現場主義は一つの解答となり得る。しかし、現場で得られた情報が他部門や経営へと吸い上げられるシステムがあるかぎりにおいては、という留保が重要であろう。そうしたシステムが欠落していれば、太平洋戦争時においては暗号をはじめとした情報処理や兵站の軽視につながった。これは、現代における企業に置き替えればリソースの軽視と言えるだろう。つまり、現場の柔軟な動きを是とするためには、情報リソースや人的リソースといった活用の冗長性とともに緻密性を担保することが求められると言えるのではないだろうか。このように考えれば、ミドル・マネジャーが連結ピンとして、情報というよりも知識を縦横無尽に共有するようにすることが重要であるとする現代のマネジメント論と通ずる。

 本来、戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。とすれば、状況に合致した最適の戦略を戦略オプションのなかから選択することが最も重要な課題になるはずである。ところが、陸軍に比べて柔軟だといわれた海軍の戦略発想も意外に固定的なものであった。その原点の一つは日露戦争における日本海海戦にまでさかのぼる。この海戦で日本海軍が大勝したために、大艦巨砲、艦隊決戦主義が唯一至上の戦略オプションになった。この思想は東郷平八郎連合艦隊司令長官のもとで参謀を勤めた秋山真之少佐が起草した「海戦に関わる綱領」をもとにして、明治三四年に制定された「海軍要務令」以来の日本海軍の伝統になった。(Kindle No. 3059)

 現場の柔軟な対応が機能するには、先述した下からの情報共有のしくみとともに、戦略や目的といった上段の情報が共有されるしくみがあることが前提となる。さらには、そうした戦略が状況に対応するように柔軟なものとなっていることも必要だ。しかし、そうした柔軟性があると言われていた当時の海軍であっても、日本海海戦という当時から数えても四十年ほど昔であり、かつ戦争のパラダイムが変わった第一次大戦前の原則に基づいていたという。こうした硬直したシステムに基づいた戦略であれば、現場の柔軟な対応は機能でき得ない。

 日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。日本軍の作戦目的があいまいであったり、戦略策定が帰納的なインクリメンタリズムに基づいていたことはすでに指摘したが、これらが現場での微調整をたえず要求し、判断のあいまいさを克服する方法として個人による統合の必要性を生みだした。また、人的ネットワークの形成とそれを基盤とした集団主義的な組織構造の存在は、個人による統合を可能にする条件を提供した。(中略) このように、個人による統合は、一面、融通無碍な行動を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し、計画的、体系的な統合を不可能にしてしまう結果に陥りやすい。(Kindle No. 3454)

 アメリカ軍の意思決定の共有がシステマティックであったのに対して、日本軍は特定の個人への属性が強かったとされる。人的属性が強いことだけが問題というわけではないだろう。先述したような情報共有のしくみや、そうして共有された情報をもとに意思決定を情に棹さすことなく論理で行なうことができなかったことが問題だったのであろう。その結果、戦略、原理原則、しくみといった組織において必要不可欠な要素がこぞって欠落する事態を招いたのである。では、なぜ情報を共有することがなされなかったのか。

 学習理論の観点から見れば、日本軍の組織学習は、目標と問題構造を所与ないし一定としたうえで、最適解を選び出すという学習プロセス、つまり「シングル・ループ学習(single loop learning)」であった。しかし、本来学習とはその段階にとどまるものではない。必要に応じて、目標や問題の基本構造そのものをも再定義し変革するという、よりダイナミックなプロセスが存在する。組織が長期的に環境に適応していくためには、自己の行動をたえず変化する現実に照らして修正し、さらに進んで、学習する主体としての自己主体をつくり変えていくという自己革新的ないし自己超越的な行動を含んだ「ダブル・ループ学習(double loop learning)」が不可欠である。日本軍は、この点で決定的な欠陥を持っていたといえる。(Kindle No. 3552)

 情報を共有するためには、個々人が情報を共有する知的インフラを有していることが前提となる。情報共有のためのハードウェアも重要であるが、それと同等かそれ以上にソフトウェアが重要だ。企画部門や戦場での将校を排出する学校組織において、静的な環境を前提にした最適解を選ぶシングル・ループ学習ばかりで、ダブル・ループ学習が組み込まれていなかった、という指摘は象徴的であろう。過去の日本軍の成功事例ばかりをそのまま暗記するだけでは、現場対応や現場での対応を抽象化する能力は育まれないのは自明である。

 帝国陸海軍は戦略、資源、組織特性、成果の一貫性を通じて、それぞれの戦略原型を強化したという点では、徹底した組織学習を行なったといえるだろう。しかしながら、組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識を捨てる学習棄却(unlearning)、つまり自己否定的学習ができるかどうかということなのである。 そういう点では、帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。(Kindle No. 3945)

 ダブル・ループ学習を個人で行なえる環境を用意しながら、さらには組織として学習棄却をいかに促すか、が重要だ。過去の自分たちの栄光、成功体験を意識的に一度捨て去ること。成功の復讐と呼ばれる現象を防ぐためには、自分たちの手で過去の成功体験を抽象化した上で、それにそぐわない現実の場合にはそうした体験を適用させてないことである。


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