2013年8月10日土曜日

【第186回】『キュレーションの時代』(佐々木俊尚、筑摩書房、2011年)

 マスメディアが情報を一元的・一方向的に発信し、私たちはそれを受信するという従来のマスコミュニケーションのあり方は現代では通用しなくなっている。著者の言葉を使えば、情報のビオトープ化が起きているのである。ビオトープとは「情報を求める人が存在している場所」(42頁)であり、情報の有り様が多様化し、偏在化しているのが現代の情報社会の特徴である。

 このようなビオトープ化した社会に適応している好事例としてfoursquareに焦点が当てられ、その特徴として三つの点が挙げられている。
 
 第一の点は「みずからはモジュールに徹し、巨大プラットフォームに依拠したこと」(140頁)である。これが機能するのは、優良なコンテンツがインターネットの世界に存在し、かつ接近可能性が高いというアンビエント化に拠るところが大きい。アンビエントとは「私たちが触れる動画や音楽、書籍などのコンテンツがすべてオープンに流動化し、いつでもどこでも手に入るようなかたちであたり一面に漂っている状態」(84頁)である。YouTubeやブログから有益なコンテンツが存在すること、アクセス網が整っているという技術面でのパスが用意されていること、という二点からアンビエントが実現しているのである。

 アンビエントな状態だけでは、一部の人は自身に合ったコンテンツにアクセスできるが、マジョリティはメリットをあまり享受できないということが起こる。インターネット勃興期の状態である。foursquareは、第二の工夫として「「場所」と「情報」の交差点をうまく設計したこと」(140頁)が挙げられている。ある場所において、情報が付加される行為が複数間で蓄積されることで、共感や共鳴が存在する持続的な関係性が築かれる。これはカネとモノの交換という旧来的な物質的で刹那的な関係性からの変容を表す。

 こうした情報の継続的な付加を主体的に行うこと、すなわち「その交差点にユーザーが接続するために、「チェックイン」という新たな手法を持ち込んだこと」(140頁)が第三のポイントである。主体的に場所に関わり、主体と客体が流動的に変化すること。これは茶道における一座建立という主客一体の理想と同じであるという著者の指摘は含蓄に富んでいる。さらには、自身の位置情報というともすればプライバシーとして秘したくなる情報を自ら開示するしくみによってプライバシーの問題を匠に回避している。その上で、自身の立ち位置や情報の獲得方法をユーザー側が選択するという観点では、Facebookの「いいね!」と同じような気軽さがある。

 こうしたfoursquareの三つの特徴を踏まえれば、現代における情報社会の一つのヒントとして「他者の視座へのチェックイン」(198頁)という発想が浮かんでくる。特定の新しい情報や概念といった無機物を見ても、自分の視座からではその斬新さを感受できないことが多い。しかし、他者の視座から世界を眺めると、その対象が日常的なものであっても想いもよらぬ気づきを得ることができることはイメージし易いだろう。師匠の言動を見るのではなく、師匠が見ている対象を見る、という伝統的な徒弟制度で言われることが現代の情報社会に活きているようで興味深い。

 このように考えれば、信頼するべきものは情報の信憑性ではなく、情報の発信者自体である。したがって、従来のメディアにおける情報への信頼から、ソーシャルメディアでは人への信頼へとパラダイムが転換していることに留意する必要があるだろう。こうした「視座を提供する人」(210頁)がキュレーターである。キュレーターは、情報が氾濫して、好もうと好まざるとアンビエントに取り囲まれる現代社会において重要性が増してきている存在である。「キュレーターの付与するコンテキストによって視座は常に組み変わる」(251頁)ものであり、「「同心円」的な関係性から、「多心円」的な関係性へ」(256頁)と関係性の変容が生じる。

 他者との関係性に加えて、自身の内側との関係性の多様性にも着目して考えてみたい。すなわち、膨大な数の分野を内包する存在としての個人、それぞれの分野において他者との関係性である。このような視点に立てば、自身のキャリアをキュレーションするという発想が現代では重要なのかもしれない。つまり、多様な関係性、多様な有り様、多様な経験をもとに自分自身のキャリアをどのように括るかということを内省すること。それとともに、内省して括ったものを、いかにソーシャルメディア上に提示し、それを随時更新し続けるかが鍵となるのだろう。


0 件のコメント:

コメントを投稿