2012年11月18日日曜日

【第124回】『街場のメディア論』(内田樹、光文社、2010年)


 本書は、著者の大学での講義をもとに編まれたものだという。著者の専門領域や書名から、第一講の「キャリアは他人のためのもの」を目にした時はいささか驚いた。しかしその内容はすばらしく、社会人になる前に講義を聴いた学生は幸運だ。入社前の学生はもちろんのこと、入社して数年までの社会人にとって、キャリアについて考えたい方は、この第一講をまず読んでみてほしい。書かれているエッセンスは、現在のキャリア理論と符号するものであり、換言すれば、現在および数年後までを射程とした職務や職場環境に適した考え方である。いたずらにスキルアップや思考法を売り込むだけの自己啓発本にはない地に足のついた論調が、本書にはある。

 特筆したいポイントを三つ挙げながら、それについて考察していく。

 第一に、自分にとっての天職や目指すべきキャリアから演繹的に今の仕事を選び取るのではなく、まずは手と足を使って仕事をしてみることが大事である、という点だ。その結果として、自分がどのようなことに意義を感じて、自分の強みを活かせるのかが腹落ちする。そうして工夫をし続けることで、ふと振り返ってみると自分のキャリアのパターンが見えてくる。そうした帰納的なアプローチが重要なのである。

 こうしたキャリアの考え方を結婚をアナロジーとして用いているところも分かり易い。すなわち、結婚というものをベスト・マッチングで捉えてもいたしかたがない。結婚相手に求める条件をスペックで書き出してみたところで、結婚生活を送ったことがない状態で、結婚後の状況を鑑みてよい結婚相手を選ぶことなどできない。むしろ、結婚を直感的に決断し、結婚生活を送る中で自分自身を知り、相手を知り、その関係性をどのように良くしていくかを常に考えて実践していく。こうした、自身の価値観をも柔軟にストレッチさせることにフォーカスする方が生産的であるだろう。

 第二の点は、与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するという考え方である。人生やキャリアというものは、ロールプレイングゲームのように真っ白なゼロの状態から自分のあるべき姿を創り上げられるものではない。良くも悪くもこれまでの自分の蓄積の延長線上に描き出すのが現実である。したがって、所与の条件をありきで、いかに自分自身の中にある多様な可能性を開発していくか、というところの勝負になる。

 この時に、自分の適性から職業をマッチングするのではなく、いかにいま自分が置かれた環境に適応させるか、という視点が求められる。むしろ、そうした自分をストレッチさせる機会をいかに創り込むかということが鍵になるだろう。受身で待っていてもそうした機会は多く訪れるわけではないのだから、そうした機会が訪れた時にそれをセンスしキャッチできるように常にアンテナを高く張っておくことが肝要だろう。

 第三に、まずは遠大な目標に向けて取り組むのではなく、目の前の他者からの期待に答えるというシンプルな目標に集中するということである。他者から見て、こういう仕事をきちんとしてくれたらありがたいという期待に一つひとつ答えていく。こうしたことが翻って結果的に第二の点である良質な機会を生み出すことに繋がる。

 著者によれば、こうした他者の期待に答えることによって自身の潜在的な能力が開発されるもので、反対に自己利益を追求しようとすると、自身の分かりきった顕在的な能力にばかり注力してしまう。その結果、当座のマーケット・バリューの上下に一喜一憂することになり、継続的な自己開発には繋がらないのである。本来は多様な可能性のある自己を発掘し続けることが、自身の豊かなありようを開発することになるのではないか。


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