2012年9月23日日曜日

【第111回】『大学・中庸』(金谷治訳注、岩波書店、1998年)


 儒教の根幹を為すと言われる「四書」に数えられる『大学』と『中庸』である。

『大学』

「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。」(第一章・一)
【メモ】現代の日本における大学教育の眼目は徳育に置くべきであり、カリキュラムがそうならない以上は、個人で学ぶしかないだろう。

「切るが如く磋くが如しとは、学ぶを道うなり。琢つが如く磨るが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僴たりとは、恂慄なるなり。赫たり喧たりとは、威儀あるなり。」(第二章・二)
【メモ】切磋琢磨。学ぶこと、修養すること、内省すること、礼儀正しくあること。

「謂わゆる身を脩むるはその心を正すに在りとは、身に忿懥するところ有るときは、則ちその正を得ず、恐懼するところ有るときは、即ちその正を得ず、好楽するところ有るときは、則ちその正を得ず、憂患するところ有るときは、則ちその正を得ず。」(第三章)
【メモ】自分の心を正すこと。自分の心を正さないと正しいことができない。

「是を以て大学の始めの教えは、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、その已に知るの理に因りて益々これを窮め、以てその極に至ることを求めざること莫からしむ。」(大学章句 本文 伝 第五章補伝)
【メモ】理を以て探求することが大学教育のはじまり。

『中庸』

「道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。是の故に君子はその睹ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。」(第一章・一)
【メモ】常に正しい道を考えること。片時もそれないこと。

「道の行なわれざるや、我れこれを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。」(第二章・一)
【メモ】理性に頼りすぎると出過てしまい、理性を軽視しすぎると実行できない。

「故に君子は和して流れず、強なるかな矯たり。中立して倚らず、強なるかな矯たり。」(第二章・四)
【メモ】柔軟に対応しつつも流されないこと。

0 件のコメント:

コメントを投稿