2011年12月3日土曜日

【第55回】Number792「ホークス 最強の証明。」(文藝春秋社、2011年)

 アスリートの言葉が私たちを魅了するのは、彼ら・彼女らの姿を私たちが見ることができ、いろいろと想像することが可能だからであろう。私たちは、アスリートの栄光のシーンという結果を眺めることで、その過程としての努力の様を想起し、それに対して賞賛をするのである。

 今期のソフトバンクホークスの成績は図抜けている。パリーグでは2位に17.5ゲームもの大差をつけて優勝、交流戦では史上初の他球団すべてに勝ち越しを決めた。ホークスの躍進の理由にはいくつもの要素があるのだろうが、その一つにはパリーグMVPに輝いた内川選手の加入が挙げられることには異論がないだろう。

 素人なりに考えても、移籍一年目で首位打者を獲得するというのは難しいはずだ。これまで対戦することが少なかった投手の投球に適応するには時間が掛かるだろうからだ。その不利な点を克服し、ベイスターズ時代のセリーグでの首位打者と併せて、両リーグでの首位打者獲得という史上二人めの偉業を成し遂げたのである。

 私が本誌で特に印象に残ったのは、内川選手のインタビュー記事である。彼の発言を引用しながら、考えたことを書いてみたい。

 「僕は、バッティングのヒントというものは常に転がっていると思っています。よく“打席で神が舞い降りてきた”なんて言いますが、常にアンテナを張り続けていないと、ヒントは拾えないんです」(64頁)

 まず着目したのが「常にアンテナを張り続けてい」る点である。アンテナを張るとは仮説を持って行動しているということではなかろうか。何かを考えるという行為は簡単なようで難しい。ただぼんやりと頭で考えても無為に時間が過ぎるだけであることが多い。そうではなく、投手、捕手、投球カウント、走者の状況、試合の展開、こういった様々なものに対して仮説を持って臨むこと。そうすれば、自身にとって有用なヒントを拾えているのだろう。

 もう一つは貪欲に努力をし続けている点だ。努力量が少なければヒントは「時に転がっている」という表現になるだろう。しかし、内川選手は「常に転がっている」と発言している。これは仮説を持つこと、それを修正すること、こういった一連の流れを愚直に続けていることの何よりの証左と言えるのではないだろうか。

 こうした基本姿勢が整っていても、長いシーズンの中ではうまくいかないことがある。とりわけ、野球における打者という十回打席に立って三回安打を打てば成功したと言われる特性を持つ役割である。失敗することがなかば当たり前であり、失敗が続く中でどのように安定した精神面を持つか、が鍵となるはずだ。このことについて、印象深いことを内川選手は述べている。

 「第1打席から第4打席まで、同じようにフラットな状態でバッターボックスに立つのはすごく難しいことだと思うんです。そんなことにエネルギーを使うよりも、自分の感情を理解した上で投手に向き合い、どのように打ってやろうかなと考えた方が効率いいのではないかと考えるようにしました。」(同上)

 昨今では、常にポジティヴでなければならない、常に成長しなければならない、といったポジティヴ心理学を曲解したビジネス書が散見される。しかし、そうした有り様は現実的ではないし、むしろそれを信じることで、そうなれない自分に苛立ち、追い込んでしまいがちだ。

 こうした好ましくないトレンドの中で、内川選手の発言は心強い。感情が揺れ動くことは自ずから然りである。それをコントロールしようとする考え方では息苦しいのは当然である。そうではなく、内川選手が言うように、自身の感情をメタ認知すること。これは長谷部選手が自著の中で述べている「心を整える」作法に近いように思え、私にはとても共感できる考え方である。

 常に仮説を持って現実に対処し、一喜一憂せずに自身の状態を見据え、愚直に努力し続ける。これはプロフェッショナルと呼ばれるあらゆる職種に適用できる考え方ではなかろうか。

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