2011年10月22日土曜日

【第49回】『日本の雇用と労働法』(濱口桂一郎、日本経済新聞出版社、2011年)

 経営学、とりわけ組織行動論や人事システム論において、職務を中心にする諸外国の人事制度と異なり、日本の人事制度は職能を中心にするものであると言われる。職務等級制度の延長として華々しく導入された評価制度としてのコンピテンシーは、多くの日本企業でその風土と合わずに運用が停滞している。組織行動論の分野における研究を学部の頃から続ける中で、なぜ日本の多くの企業で職務を評価する人事制度の運用がうまくいかないのか、常に疑問に思ってきた。その大きな一つの理由は、本書が示唆するように日本の労働法にある。

 日本における雇用システムの本質は「職務の定めのない雇用契約」にある、という著者の主張はその通りであろう。契約を取り交わす時点において職務が明確でないのだから、職務等級制度を用いる人事制度との整合性がうまく取れないことは当たり前なのかもしれない。職務の代わりに職能、すなわち職務遂行能力によって評価する、というのが経営学の教えるところであるが、職務遂行能力とは人じたいを評価する、ということに他ならない。

 職務遂行能力は個々の企業に特有な職務を遂行する能力であり、それを身に付けるには時間がかかる。そうした能力を評価し、高い能力を有する人材に働いてもらうために、長期雇用慣行が日本企業で形成された。その過程で、著者の言葉で言えばメンバーシップ型の契約が企業と労働者との間で結ばれることになる。メンバーシップ型の契約が、三種の神器と言われた長期雇用慣行、年功賃金制度、企業別組合を保証するものとして機能したのである。

 このようなメンバーシップ型の契約が分かりやすい形で顕在化するのが、企業による労働者の解雇である。著者によれば、正当な理由のない解雇も許容するという最もラディカルな運用をしているのはアメリカくらいであるが、それ以外の国でも景気変動における解雇は許容されている。つまり、外部環境に呼応して経営がスピーディーに人材施策を打ち出すことが法的にできるのである。それに対して、日本の場合には整理解雇四要件が判例によって形成され、景気や業績といった経営目線に立った整理解雇に強い制約が掛かっている。これが、雇用調整に対する彼我のスピード感の違いの原因であると言えるだろう。

 企業の理由による整理解雇ができづらいというメンバーシップ型契約は労働者側にとってメリットがあると思うかもしれないが、事実はそれほど単純ではない。メンバーシップ型契約の典型的な問題は、日本でのみクローズアップされる過労死に表れている、と著者は述べる。メンバーシップ型契約は、特定の企業に固着した知識やスキルばかり習得することを促してしまう。そうした企業の戦略にのみ対応してきた人材は、残念ながら市場で価値を出しづらい。その結果、企業内で給与をもらわざるを得ないため、メンバーシップ型の出世競争の中で半ば自発的に長時間労働に駆り立てられてしまう。これが日本に固有と言われる過労死問題を生み出す構造である。

 では、私たち労働者はどうすれば良いのか。企業でのメンバーシップ型の成長を目指すと同時に、市場での職務型の価値を創り出すことが鍵であろう。職務型の価値を向上することに慣れていない日本人は、それが見えやすいものにすがりつきがちである。しかし、名前のある資格取得に走り、語学の勉強にいそしむことは、偏差値の高い学校に入ることを目指すことと同じ心理に他ならない。学ぶこと自体は大事であるが、職務に結びつかなければ市場価値には結びつかない。考えてみれば当たり前であるが、知識やスキルを持っていることと、それを職務に応用できることには大きな差がある。したがって、社外で学んでいることを職務の中で小さな工夫に結びつけることが、メンバーシップ型契約に依存せずに生き抜く戦略の一つになるのではないだろうか。

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