2011年10月2日日曜日

【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)

 なぜ日本という国家は軍部の暴走を許すこととなってしまったのか。

 戦争に至る前までの昭和史は日本にとって厳しいものであった。その時代にある悲惨さや暗さや諸外国への申し訳なさから、私たちは時に目を背けてしまう。しかし、それがいかに苦しくとも、いや苦しい歴史であるからこそ、私たちはそこから学ぶ必要がある。

 本書は抑制の利いた文体でありながら、一つのストーリーとしてまとまっており、示唆に富んだ指摘が随所に見られる好著である。その中でも特に興味深かった点をいくつか挙げてみたい。


 まずは、統帥権干犯という概念の「発明」である。統帥権干犯とは、軍の問題が統帥権、つまり天皇の国事行為に繋がる問題であり、それは他の主体が関与できるものではない、という考え方である。これは明治の初期に法制度が整った時期からあった考え方であったと私は勘違いしていたのであるが、統帥権干犯が主張されるようになったのはロンドン軍縮会議以降だそうだ。この概念は北一輝が発明し、野党がロンドン軍縮会議への政府の態度を攻撃するための一つの手段として授けられた。そして、その野党による政府への攻勢に海軍の強硬派が飛びついた、という構図であったようだ。外交が国内政治を規定する、という国際政治の一つのセオリーが、日本を戦争へと導く大きな第一歩となってしまったことを、私たちはよく認識しておく必要があるだろう。


 次にメディアとの関係性である。政府からメディアへの統制だけではなく、メディアの中でも特に当時の主流である新聞社が積極的に戦争礼賛へと動いた点に注目したい。新聞社が戦争を肯定したのは、戦争に関する記事を出すと売れる部数が増えたから、という企業としての経済的利害があった。戦争を煽ることで発行部数を増やしていこうとする新聞社と、それを活用して戦争を肯定する世論を喚起したい政府との相補関係があったことはしっかりと記憶しなければならないだろう。


 第三の点は、正義という美名によるテロリズムの脅威である。五・一五事件は当時の首相をはじめとした主要な政治家を殺したテロリズムである。一国の首相をテロリズムによって殺害したのであるから無期刑や極刑がなされたかと思うものであるが、その判決は極めて軽く、実行犯は遅くとも数年後には釈放されている。さらに、その処置を、当時の日本国民は大歓迎したのである。この事件を契機に、戦争反対という国民の声と合わない政策を唱える政治家は、自身がテロの対象となることを恐れてまっとうな自説を声高に主張できない暗黙の空気が形成された。この結果、経済情勢の悪い状況を打開するための覇権主義というポピュリズムが蔓延したのである。


 第四に、理想主義の危険性である。国家総動員法の制定を巡って政友会や民政党が軍部に対して最後の抵抗を試みている中で、この法案に大賛成したのが社会大衆党、すなわちいわゆる「左翼」勢力であった。共産党や社民党がこうした法案に賛成することは、現在からはとても考えられないことであるが、これが現実である。マルクスの言うところの階級闘争による理想社会の実現という、当時の現実からはほど遠い革新的な考え方を実行するために安易で危険な政策を支持することがあることは銘記しておきたい。


 最後に、歴史一般に関する認識に対する著者の指摘である。私たちが日々接している情報の質や量は高まる一方である。そして、知悉する情報が積み重なる結果として、時に私たちは現実のすべてを認識しているという錯覚に陥ってしまう。現代から考えれば、太平洋戦争の直前の時期において人々が得られていた情報量は圧倒的に少ない。しかし、果たして当時の人々の認識としてはどうであろうか。新聞報道が盛んになり、ラジオ放送も始まる中で、大正の時分と比較すれば格段に情報量が増し、すべてを知っているという感覚に浸ってしまっていたかもしれない。先の時代と比較して情報量が増していると考える点では、当時と現代とでは何も変わらない。筆者が述べる通り、私たちは皮相な現実のみに目を向けるのではなく、現実の内奥にある歴史という不気味で得体の知れない大いなる動きに注視する必要がある。そのためには、すべてを認識できていると考えることは誇大妄想に過ぎないという自覚を持つことが最初の発想転換として必要であろう。

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