2011年7月3日日曜日

【第32回】『新しい労働社会』(濱口桂一郎著、岩波書店、2009年)

労働法とは、経営者が守りさえすれば良いという消極的な類のものではない。人事制度や人材マネジメントにプロアクティヴに取り入れるべきものなのではないか。

2005年から2006年に労務管理の分野で政労使を巻き込み話題となったホワイトカラーエグゼンプションに関する背景の説明が分かり易い。著者によれば、ホワイトカラーエグゼンプションには働き方を変える可能性があったと言う。たしかに社員の健康に関わる労働時間規制の一つの施策として、特定の要件に合致するホワイトカラーに残業代規制を掛ける制度とすれば有意味になり得たのであろう。

しかし政府は、ホワイトカラーエグゼンプションを残業代だけではなく、あらゆる労働時間規制からの適用除外とし、かつ仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方を支援するものとして捉えた。その無理な解釈がマスメディアの「残業代ゼロ法案」というキャンペーンを招き、結果としてホワイトカラーエグゼンプションを断念することとなった。残業代抑制という世論の批判を回避するために、月八〇時間超の残業の割増賃金率を五割に上げる(現在は月六〇時間超)という、長時間残業を奨励するかのような、労働時間規制の考え方に逆行する施策までが導入されたのである。

おそらくここには職務と報酬に対する誤解があったのではないか。その延長として、グローバルスタンダードに対応すると称して、現在は同一職務同一賃金が人事管理上の主流となりつつある。しかし、それが問題を解決するのであろうか。

古典派以来の経済学の基礎中の基礎である「一物一価の法則」の文脈として同一職務同一賃金を捉えることはもちろん正しい。しかしそれは企業内という閉じたネットワークで対応することではなく、人材市場という開かれたネットワークにおいて対応すべきことなのではないだろうか。この議論は、「同一職務」における「職務」を、それに必要な「スキル」として代替することもほぼ同意である。人材の流動性を支援するしくみを構築することには大きな意義があるが、企業内部で対応する必要はなく、むしろ問題があると考える。

では企業内部で同一職務同一賃金に対応することにどのような問題があるのか。

問題の所存は、なにを測るかという時間軸に対する部分にあると考える。変化の激しい現在の環境において、今の仕事に求められるスキルを測ることで、企業の中長期的な成長戦略と競争戦略を推進するための人材要件をスタティックに捉えることは、企業にとって得策であるとは思えない。

短期的なビジネスに勝つ人材要件の定義づけに違和感を提唱した高橋俊介氏(人材マネジメント論―儲かる仕組みの崩壊で変わる人材マネジメント (BEST SOLUTION))や、短期指向的な成果主義運営を痛烈に批判した高橋伸夫氏(虚妄の成果主義)。彼らが約十年も前に警鐘を鳴らしたことをどれだけの企業が精緻に理解し、制度設計および現場運用を創り込んでいるのだろうか。変化への対応が大事であると言いながら、中長期的な視点を欠いたスタティックな対応に汲々としているとしたら、将来にわたって変化を生み出す人材が育たないことは当然の帰結である。

こうした対応は企業にとって問題があるだけではない。企業で働く社員にとっても悪い影響があるだろう。つまり、現在のビジネスに必要なスペックのみを効率的に修得させることは個人の中長期的な成長を支援するのではない。ある時期に高く「売れる」スキルであっても、時代が変われば「売れなく」なる。時代の変化のスピードが上がっている中、そうした対応のみに注力することはリスクが高いだろう。

こうしたスタティックな能力を測ることの問題点をケアするためには、ダイナミックな能力をいかに測るか、が鍵である。保有能力としてのスキルではなく、健在能力としてのコンピテンシーを測るのである。さらに言えば、職務要件的なコンピテンシーではなく、人間力を測るコンピテンシーである。もちろん、こうしたものだけで企業活動に必要な人材要件を定義できるとは思えない。したがって、細かなメンテナンスにリソースが取られるとはいえ、職務に特化したコンピテンシーとのハイブリッドが現実的な対応になるのかもしれない。


人事上の対応を精緻に行なうためには、人材マネジメントの領域、組織行動論の領域とともに、労働法の領域を押えて学際的に対応することが必要である。こうした思いを改めて強くできる良書であった。

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