2011年6月4日土曜日

【第28回】『労働法(第3版)』(水町勇一郎著、有斐閣、2010年)

労働が労働法を規定するのか、労働法が労働を規定するのか。

労働法を学び始めた頃、法が働く人を縛っているようなイメージがあった。労働者を保護するために労働法があるということは分かる。たしかに、労働者にとっての最低限の生活を守るために労働法は存在する。しかし、それを法律で画一的に守る、ということはできるのだろうか。多くの企業にとって、労働法に則した言動を頑なに主張し続けることは「空気を読まない」行為だろう。

しかし、上記について本書を読んだ結果として感じたことを一言で記せばこうだ。労働と労働法とは相互に影響を与え合うのではないだろうか。

判例の積み重ねが労働法の体系を更新し続ける。そして、判例じたいは労働のあり方を問い続ける姿勢の結果として生まれる。したがって、現行の法律に即して行動するという点では法律が労働のあり方を規定するが、現実の労働のあり方が法律へと影響を与える。

その結果、国によって労働法は異なる。これは法律の違いだけによるものではない。国家によって労働観が異なり、働き方が異なるため、それに応じて労働法が異なるのである。筆者によれば、日本では共同体の内部における緊密な人間関係の繋がりが職場にも影響を与え、それが労働法にも影響を与えているという。

では国家単位で働き方と労働法とが相互に影響を与え合うという状況がある中で、企業は労働のあり方について世界展開にどう対応していくべきなのだろうか。経営学を援用すれば、ポーターのマルチドメスティック戦略か、グローバル戦略か、という二つの考え方が思い浮かぶ。すなわち、国家単位の風土に適合させて各国で人事上の対応を変えるのか、企業として全世界で同一の人事制度を適用させるのか、という二つの考え方である。

にわかに回答できる簡単な命題ではないだろうが、企業のグローバル展開を考えるために、労働法の国際比較を行なうことが各企業に求められているのだろう。

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