2011年6月12日日曜日

【第29回】『民族とネイション』(塩川伸明著、岩波書店、2008年)

「私たち」とはなにか。

日常的にこうした大上段に構えた問いを考え続けると人生が窮屈になりそうだが、時に考えたいことである。自然と発する「私たち」という言葉に含まれる範囲はどこまでなのか。

「私たち」という言葉はアイデンティティーと密接に関連する。本書が指摘するように、人間のアイデンティティーとは単一ではなく重層的である。たとえば、WBC日本代表としてのイチローにとって松坂大輔は「私たち」という括りに入るが、シアトル・マリナーズの一員としてのイチローにとってボストン・レッドソックスの松坂大輔は「私たち」と括れない。「私たち」の持つ意味合いはこのように流動的であり、多様なアイデンティティーのいずれが表に出てくるかは状況依存的である。

こうした「私たち」の範囲が限りなく大きくなったものの一つが、本書のテーマであるナショナリズムである。「ナショナリズムとはイメージとして想像されたものである」と喝破したのはベネディクト・アンダーソンであるが、アンダーソンが『想像の共同体』(定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行)で主張したナショナリズムはネイション(国民意識)に基づくものであったと筆者は言う。その理由として、アンダーソンのフィールドワークの対象となったインドネシアやラテンアメリカにおける国家形成の背景がエスニシティ(民族意識)ではなくネイションに基づくものであったからであるとしている。

では日本におけるナショナリズムの起源をどう考えるべきであろうか。

いわゆる国民国家としての日本の「誕生」は明治維新後の公定ナショナリズムに拠るというのはアンダーソンの主張の通りであろう。しかし、明治以前に「日本人」は存在しなかったのか、というとそういうことではないと筆者は言うが、その理由について筆者はあまり書いていない。

やや飛躍的な解釈になることを恐れずに書けば、明治以前における「日本人」意識は多分にエスニシティに基づくものであったのではないだろうか。隋や唐との貿易や元寇などといった「外国」という等位の存在概念を意識せねばならないときにエスニシティがとりわけ意識されたと考えるためである。戦国時代に日本の統一ということが強く意識されたことも、キリスト教の伝来や南蛮貿易をはじめとした諸外国への対抗意識という部分が強いように思える。

他方で、ネイションは明治以前にはやはり弱かったように思える。各藩を○○の「国」と呼称している点がその何よりの証左であろう。アンダーソンの言う通り、ネイションの高揚は明治政府による「国語」教育の浸透や新聞というメディアの誕生によって醸成された点が大きい。したがって、日本においてネイションとエスニシティが結び付き国民国家が形成されたのは明治以降と考えるべきであろう。

このように日本におけるナショナリズムが形成されたと考えるのであるが、それは固定的な意味合いではなく、概念はゆらぐものである。ともすると日本という概念を意図的に操作する人物が現れる世の中を生き抜くためにも、「私たち」と自分が言うときにそれはなにを意味しているのか、自覚的でありたいと改めて思った。

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