2011年5月21日土曜日

【第26回】『日本中世の百姓と職能民』(網野善彦著、平凡社、2003年)

職能を考えるために現在の企業やビジネスや働き方をもとに研究することはもちろん必要だ。しかし、それとともに職能の歴史をひもとくことが大事なのではないか。このような想いを漠然と持っている中で出会ったのが本書である。

百姓という言葉のイメージはお百姓さんであり、農業に携わる人ということを現代では意味しているといえるだろう。しかし、百姓という概念はもっと広い意味合いを持つものであった。多義的な仕事を内包する概念としての百姓という職業が、次第にその意味を狭めていき、現在のような意味合いへと変化を遂げたのである。

では中世における百姓とはどのような存在であったのか。

百姓を想起する際に年貢という制度を切り離して考えることは難しい。しかし年貢の起源は、私たちが現在思い浮かべるようなものと異なることが指摘されている。年貢というと、当時の百姓にとって荘園領主からの制約であり土地への束縛であるというイメージがあるが、それは当初の意味合いとしては異なるそうだ。年貢とは、当時の平民百姓が自由民としての立場を保つための条件という意味合いの方が強いらしい。現在に置き換えて考えれば、固定資産を活用しての自由な経済活動を行なうためにその代償として支払う租税ということであろうか。

現代の私たちが抱く年貢に対するネガティヴなイメージの一つは、出挙という高利の利率での種籾の貸与制度に由来すると言えるだろう。では高利で貸し出されたものの上分はどこに納められるのか。実はその対象は必ずしも荘園領主ではない。出挙の上分は神仏に仕える人々によって用いられるものであり、神仏のために使われたのである。わが国における金融の誕生とも言える出挙とは、神仏と人々の生活とのつながりによるものであり、持つものと持たざるものとの束縛関係を生み出したものではない。

このような地域における土地を巡る関係性が社会と人民の生活のあり方を規定し、ひいてはその時代の権力主体をも規定する。平民百姓から宗教組織へ、宗教組織から権力主体へ、という流れである。西洋における権力主体がトップダウンで社会を規定するのに対して、日本における権力主体はミクロの積み重ねとしてのボトムアップで規定される、ということが言えるのかもしれない。こうした人々と社会との関係性の連なりが現代における人々と企業組織との関係性へと影響していると考えるのは自然であろう。

本書の指摘にもあるように、権力主体が西日本と東日本とで異なるところがわが国における面白い点である。西日本では天皇を中心として神仏や芸能に携わる職能が発展したのに対して、東日本では鎌倉幕府を中心として武士や武器に携わる職能が発展した。人々の自由な活動を守る存在として権力主体があり、そうした自由を享受するために年貢がある、という関係性である。

わが国の職能は同調圧力が高くオリジナリティに乏しいとも言われる。しかしわが国における職能の歴史をひもとくと、異質で多様な職業のぶつかり合いや結びつきが見出される。豊穣な可能性を有する職能について、私たちはもっと広い視点で捉えることが求められているのではないだろうか。

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